2022年4月。私は神奈川から広島に引っ越した。いや、町田市は神奈川じゃないから東京からだった。また間違えた。そういえば、投票に行ったら入れようとした候補者の名前がなくて、そこで自分が東京都民だと気づいたこともあった。でも、それくらい私の生活圏は神奈川に寄っていたから東京の話をされてもわからないし、神奈川に住んでいたということにしておいたほうが何かと話がスムーズなので、やっぱり私は神奈川から広島に引っ越した、ということでこのまま話を進めていいですか。
引っ越したのはもちろん、無人島開拓のためである。2020年に島の開拓が始まってから二年近くが経ったが、現地に駐在するのは未だにカトパン一人。島の運営をするにあたって、単純にマンパワーが不足していた。それもそのはず、「広島に移住して無人島の開拓をしてほしい」といわれて「待ってました」と答える人間がゴロゴロいるとしたら、その会社はもはや学習塾ではない。そもそも、ふつう塾は無人島を買わない。変わった塾の変わった人間はいねがー。そこで、以前からちょくちょく開拓に参加していた私に白羽の矢が立った。というか自ら刺さりに行った。高校では弓道部だった。
とはいえ、周りを見渡せば私の同年代は家庭を持ち、何かあれば実家に行ける土地に居を構え、腰を据えて働いている人間が多い。かつては私もそういう人生を歩みつつあったし、並走する電車に自分が映り込むのを見ることもある。本当にこのタイミングで広島に行くのか。迷う、ような気持ち。しかし、最終的に自分が広島行きを決めることは心のどこかでわかっていた。だから本当のところ、それは迷いではなく、自分を納得させるための心の整理だった。『運動の第三法則。前に進むには、何かを後ろに置いていかねばならない』好きな映画のセリフだ。
広島に行くことですっかり捨てることになる可能性がある。その代わりに手にできる可能性がある。それをよく考えるために、私は真冬の丹沢に一人で出かけて、山のなかで火を焚いた。何年かに一度の大きな寒波が来ていて、テントのなかの水が凍りついていた。すさまじい風と寒さで考え事をするどころではなかった。でもそれが答えだった。いまを生きることに必死であれば、ほかのことを考えている余裕なんてないのだ。行く道が決まっているなら、ただ進むしかない。不安なのは、それを自分で選び取ったからだ。自由である以上、不安なのだ。だからこの道は正しい。
そのようにして、私は広島に来た。それが2022年の4月のことである。これから、私が広島に来てからのことをレポートしようと思う。
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花まる子ども冒険島
モノであふれた社会とはかけ離れた島、無人島。
今日を生き抜くために、頼りになるのは自分の心。
そこは、野外体験の究極の場となる。
強い『心』と自分の『目』を磨き、『自分の言葉』で語れる人に。
心と身体を強くする、花まる子ども冒険島が、いま始まる。
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