無人島開拓記~100年続く「花まる子ども冒険島」~

【“職人”の無人島レポート⑩】岩樋さん再び、帰路、ここで感じるもの(来島)

  • LINEで送る

開拓団受け入れに向けて、カトパンとともに無人島へ向かった”職人”こと、橋本。
“職人”による無人島レポート第10弾です。

前回のレポートはこちら
【“職人”の無人島レポート⑨】荷造り、100年先への渡し方(来島)

岩樋さんは、15時に島に到着した。16時の約束まで、まだ1時間ある。何かあったときのためにという、岩樋さんの配慮だろう。何というしっかり者。

岩樋さんに頼んで、30分だけをもらい、もう1本動画を撮影した後、まとめておいた荷物を次々と船に積み込む。すべてを積み終えると、今まで過ごしていた場所が、来る前と同じ、荒野になった。整地したキャンプサイトだけが、滞在の跡を残している。1泊2日だったが、濃密な時間を過ごすことができた。またいつか、ここに来られるだろうか。

積み残しがないことを確認すると、船を海側へ押し出しながら浅瀬を蹴り、一気に飛び乗った。エンジンが始動し、舵が北に切られる。岩樋さんが風向きを読んで、向かうべきルートを示した。行きよりも少し風が強く吹いている。振り返ると、航跡の向こうで、島は次第に小さくなっていった。

安芸津港に入ると、速度を落として船を桟橋に寄せていく。そして、カトパンが最後の難関である係留に入った。車で言うところの、駐車である。舵とエンジンで船を操るのは車に似ているが、まったく違う。地上と違い、海上では波と風の力が加わり、船の挙動が複雑になるからだ。また、スロットルを入れてエンジンの力がスクリューを通して水に伝わり実際に船を動かすまでには常に時間差があるし、一方でエンジンを止めても慣性で船は止まらずに動き続ける。そんな状況で繊細に操舵し、桟橋と船体をぴたりと平行に合わせるには、高い技術がいるのだ。

カトパンが何度かチャレンジしたが、どうしてもあと少しのところで船がずれてしまう。しかし最後には、もはや師匠のオーラが出ている岩樋さんのおかげもあり、無事に船を係留することができた。

船から車へ、荷物の積み替えを終えると、そこで岩樋さんと別れた。別れ際に、岩樋さんがあらかじめ用意していた宮島旅行のお土産をくれた。もちろん2人分。いつかこの恩を返しに来ようと思う。

車に乗ると、荷物を降ろすため、まずカトパン邸に向かった。到着すると、玄関の脇に大量の「置き配」が積み上がっていた。他に事務局を借りているわけではないので、無人島関連の物資はすべて、カトパンの家で保管されている。まさに前線基地。毎日のように、追加の物資が届くのだという。それを物語るように、家の外には大量の開封済み段ボールが積まれ、回収日を待っていた。

(カトパンが)置き配の荷物をすべて押し入れに収納してから、(カトパンが)車の荷物を降ろし、(カトパンが)調理器具の煤を洗い落として、(私が)砂まみれのシューズを水で洗い終わる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。どうもすみません。

その後、無人島での疲れを癒すため、我々は温泉に向かった。帰りは、2回道を逆に行った。

翌日、全身が軋み、錆びたロボのようになっていた。お互いに仕事の切りがよくなる昼まで待ってから、カトパンに安芸津駅まで送ってもらった。途中、時間がないにもかかわらず、近くの定食屋に寄って昼飯を食べた。さらに時間がギリギリになって焦ったが、そのようにして我々は口には出さずに別れを惜しんでもいた。そしてそれとは別にカトパンは今日も道を逆に行った。発車2分前のギリギリにロータリーに滑り込む。バックパックを担ぐと、別れの挨拶をしたようなしてないような慌ただしさで駅に入り、改札を抜けた。ホームへ走りながら思う。「これから無人島に来る人たちも、いま私が感じているものを、感じるのだろうか?」できるだけ多くの人たちに、知ってほしい。その日、その仲間と、その年齢で。1年先も、100年先も。そんなに先まで島はあるのか、それはまだわからない。わからないから、おもしろい。

電車が来る。ロータリーを見ると、すでに車はなかった。ありがとうカトパン。その先は左だ。

(おわり)

次の開拓記もどうぞお楽しみに!

【“職人”の無人島レポート】をはじめから読む

花まる子ども冒険島 特設サイト
https://www.hanamarugroup.jp/hanamaru/mujintou/

\Follow me!/花まる無人島公式アカウント
Facebook‣https://www.facebook.com/hanamarumujinto/
Instagram‣https://www.instagram.com/hanamaru_mujinto/