長女が生まれてから3年後、次女が生まれました。外で頑張りすぎて家で爆発するタイプで、小学四年生くらいでは毎日右と左のおさげの位置が違うと言って妻とバトルをしていました。時々私が髪をセットすることがあり、妻の大変さを痛感した経験もいまでは良い思い出です。
長女と違い、次女を叱ったことがあります。思春期という難しい時期ですが、我が家で大切にしていることを守れなかったことで、温厚な私が3回叱りました。
1回目は、小学校低学年 長女に意地悪をして度が過ぎたとき。
2回目は、小学校高学年 ゲームのルールを守らなかったとき。
3回目は、中学生時代 買ったばかりの携帯電話を投げたとき。
外で頑張っているから、家ではわがままを多少は許していました。宿題やテストも手を抜くことなくやり、厳しいバスケットボール部の部活動も、土日も休むことなく練習に参加しているなかのことなので、親としても許してあげたい気持ちはありましたが、やはり「基準」をぶらすと次女のためにならないということで心を鬼にして叱りました。
以前のコラムでも書かせていただきましたが、一番家族のことを考え、皆を楽しませようとしている次女の姿を見ると、子育ては間違っていなかったと思えます。
文武両道の次女は、昔から「幼稚園の先生か学校の先生になりたい」と言っていました。妻がずっと幼稚園教諭をしていることもあり、子どもとかかわることに興味を持っていたのだと思います。私も、次女は教育の道に進むのだと思っていました。
しかし中学三年生の頃、突然「私は足袋屋になる!」と言い出しました。あまりにも突然のことで、私は「ほー」としか言えませんでした。その背景にはテレビで放送されていた「陸王」というテレビドラマの影響がありました。どんな困難にも負けず、皆で頑張って道を切り開いていく展開に心を奪われたのだと思います。私も毎週日曜日に一緒に観て、一緒に涙を流していました(笑)。
高校生になり、進路を決めるときに改めて次女に聞きました。
「将来は足袋屋になるか?」
次女は笑いながら「迷っている」と答えました。
それからコロナウイルスと戦う日々が続き、闘病していた妻のお父さんのお見舞いにも行けなくなりました。そしてはじめて直面した身近な人の「死」。お義父さんが他界してから次女の口数が少なくなりました。何かを深く考えている時間が増えたと感じていました。
そして進路を決める時期、改めて次女に「進路はどうする?」と聞きました。次女は吹っ切れたように「看護師になる!」と答えました。私以上に妻がびっくりしていました。「コードブルー」などのテレビの影響だと思っていましたが、理由はほかにありました。お義父さんが亡くなったときにずっと寄り添ってくれた看護師さんの影響でした。
命を預かる現場でたくさんの人に優しく接している看護師さんみたいになりたいと思ったそうです。患者さんだけでなく、その家族に寄り添える看護師になるのが夢で、大学も自分で決め、毎日勉強をし、希望する大学に見事入ることができました。泣きながら深夜レポートを作成している姿、試験勉強を連日している姿を見守ってきました。そして、この4月から大学四年生です。
「足袋屋になりたい」から、「看護師になる」まであと少しです。親としてできることはもうあまりありません。心配がないと言ったら嘘になりますが、自分の道を次女らしく歩んでほしいと願っています。看護師という大変な仕事を選択し、頑張っている次女を世界でだれよりも応援してあげたいと思います。
次回は、娘の幼少期を思い出して「長女、初めての家出はどこに行った?」をお届けします。
花まる学習会 箕浦健治