【花まるパパ社員のわが家の自由研究②】『二倍ではなく二乗なれど、 二人いれば○○に』榊原悠司 2024年5月

【花まるパパ社員のわが家の自由研究②】『二倍ではなく二乗なれど、 二人いれば○○に』榊原悠司 2024年5月

 「何を考えているの? もうあなたを頼りません。実家の母を頼ります。家にも帰ってこなくていいです」
 これは今年一番グサッときた言葉です。出張から帰る日のこと。同僚とごはんを食べにいくことになり、了承を得るため恐る恐る妻へ連絡。そのときは「いいよ、行っておいで!」と言ってもらえたので足取り軽くお店へ。楽しい時間を過ごしていると、冒頭のメッセージが届きました。実はその前に「子どもが高熱を出して大変だ」という連絡が来ていたのですが、それに気づかず……。「うわ、“また”やってしまった……」と一気に酔いが醒め、とりあえず連絡をしようとしましたが過去の経験からいまは何を言っても駄目だと思い、その晩はホテルに泊まりました。“また”という通り、過去にも何回か似たことがありました。「私たちを大事にしていない。気持ちを整理するため一度実家へ帰ります」と言って、生後半年の子どもを連れて実家へ帰るなど。

 いま思えば、そのときの私は子育てのリアルをまったくわかっていませんでした。そこに触れられたのは、二人目の出産を間近に控えたとき。妻が一週間入院することになり、その間は一歳半の娘と私の二人生活。現実を知らない私は楽しみにその日を迎えました。一緒に遊び、ごはんを作って食べさせ、お風呂に入れて歯を磨き寝かしつけと、初日は問題なく終了。しかし、二日目から洗礼を受けはじめます。食べ物で遊び一向に食べてくれない、着替えさせようと服を脱がすと裸のまま脱走。歯を磨こうとすれば口を固く結び、もう寝る時間というときにおもちゃを引っ張り出す等々。そこに少なからず苛立ちを覚え、ふと考えてみました。

 この時間は機嫌がいいから一人で遊ばせ、その間に掃除をして洗濯をしたい。○時までには寝かせたいから、ごはんを作って○時までに食べさせ、お風呂に入れる。子どもが寝たら、自分のごはんを済ませ、残りの家事や仕事を片付けたい。こうした算段を立てていたと気づきます。同時にそれが多少なりとも崩れると、心がざわつくことを自覚しました。「じゃあもう食べなくていい」という言葉が喉まで出ることも。いままでこのようなことはなかったのに。

 ここで「あ……」と気づきました。この苛立ちは、崩れた算段もろとも自分一人で請け負うのか、という思いからきているのだと。そしていままでそう感じたことがなかったのは、私が子どもと家にいるときは基本的に妻もいるからだと。

 妻はこれと日々一人で向き合っているのか、そんな反省を胸にしまい、出産の立ち合いをしていました。お世話になっている方々へ無事に生まれた旨を報告していると、恩師からすぐにこのような言葉をLINEで頂きました。
「子どもが二人になると大変さは二倍じゃないぞ。二乗だからな。たくさん家事をするんだぞ」
無意識のうちに携帯に向かって「はい」と言って頭を下げていました。確かに、二人になったときの子ども同士の化学反応、エネルギーは二倍ではなく二乗。大人からすれば、二乗になったエネルギーを受け止めるのは大変と言えるかもしれません。早速それを感じました。四六時中泣く下の子を抱っこして「やっと寝てくれた!」と布団に置くと、上の子が近寄ってきて「あー!」と言って叩く。そうすると下の子がまた泣き叫び、さらにそれを受けて上の子も機嫌が怪しくなる……。思わず妻と顔を見合わせてしまいました。が、少し間があったあとに互いが笑っていました。子育てにおける大切な何かが見えたような気がしました。

 その数日後。下の子がオムツから漏れるほどにうんちをしました。お尻を拭いて、オムツを代えているとおかわりのうんちが……。さらにごはんを食べている際中だった上の子が興味津々とばかりに覗きにきて騒ぎ、てんやわんや。しかし、妻と二人で「わあ、いっぱい出たね!」と笑って事にあたります。が、妻は「これを一人のときにやられたら絶望感しかないわ」とも。

 子どもが二人になり大変さは二乗になるも、大人が二人いれば大変さは「笑い」に。妻を一人にしないように、そう思って今日も早く帰ります。幸せも二乗になるように。

花まる学習会 榊原悠司

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