【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑫】『背中があいたころ』坂田翔 2025年4月

【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑫】『背中があいたころ』坂田翔 2025年4月

 昨年、第二子となる次男が誕生しました。幸い安産でしたが、妻の心配ごとはそもそも出産の「あと」にあったのでした。

 妻の入院中は、1歳10か月の長男を私が見ることになります。妊娠初期から何度も妻と話していたのが、この期間をどう生き抜くか。妻の気になりごとはもちろん私の生き具合などではなく、長男がよく食べ、よく遊び、よく寝て、母なしで幸せに生きられるかということでした。

 妻も私も一旦の子育てというものに慣れが出てから、妻は家のこと、私は仕事と、ある程度割り切ってうまくいっていました。これは2人で話し合ったことで、旧時代的な役割観から認識が進んでいない、みたいなことでは決してないつもりです。
 妻は私に、「最近は人と話すたびに『家事とか子育ての分担はできてる?』『え、旦那さんそれしかやってないの!?』みたいに言われるんだけど、私が求めてるのはそういうことじゃないんだよなあ。家事分担とかじゃないんだよ。別にあれこれやってほしいとかじゃないんだよ。お互いに話し合って納得しているか、ってことなんだよね。わかる? 翔ちゃん。翔ちゃんは私をニコニコさせてくれる係だからねえ」と言ってくれています。
 いまの暮らしは、妻が「子どものことは私がやりたい」という性分だったことに2人で気づいた結果なのでした。ただ、恥ずかしながら私は「妻がそれで幸せなら子も幸せだろう」くらいの素朴な考えで、それは裏を返せば「妻ほどはわが子のことをわかっていない」を当たり前にしていたことでもありました。
 長男にとって、父たる私は「遊びと興奮のアイコン」であり、一緒に穏やかに眠る相手ではありませんでしたし、少しずつ育つ自我と感情の揺れ動きを、優しく包んで整えてくれる存在でもありませんでした。重要なことはすべて母、という状態だったのです。

 さて、そんな「親子生活の素人」の私のために、妻は「生活ノート」を用意してくれていました。普段のルーティーンから始まり、「トイレには、一声かけてから行ってください」「12時までにお昼ごはんを食べて、ベビーカーで商店街の道を歩くとよく寝ます」など、それをなぞるだけで長男の文化的な生活が確保できるように書いてくれたノートでした。
 おかげで滑り出し好調、公園で存分に遊び、新しい友達もつくり、よく食べて昼寝をし、午後も遊んで、お風呂もわいわい言いながら入って……と、ずっと笑って、楽しいことばかりでした。夫婦で最も不安に思っていたのは「就寝」のことでしたが、初めて2人きりで長男と寝る日、思ったよりもおとなしく眠りにつきました。
 しかしそれから一度起き、その2時間後にもう一度起き、そこで初めて、泣きながら「ママ……」と長男が呟きました。そういえばこの日、一度も母のことを求めず、一度も「母がいない」ことでは泣かなかったのでした。よく考えれば、彼にとって異常な一日。我慢しないはずはないのです。
 初日からスムーズに事が運んだのは確かに妻のノートのおかげでもありましたが、そうか、長男こそ初めての母なしの生活で頑張っていたのだな、彼の頑張りのおかげもあって順調に思えていたのだな、と思い知り、暗い部屋で長男の背中をさすりながら涙が出てきました。初めての父と息子のねんねは、男2人が別々の理由で泣いた夜となりました。

 妻の退院後は長男の「ママがいいモード」が露骨になりました。次男の授乳の最中、あいている私よりも妻の横の狭いところに体をねじ込む長男。妻は左手で長男を抱き、右手で次男を抱き、嬉しそうにしています。その早速のたくましさが素敵だったので妻を褒めると、「背中もあいてるよ〜」とさらに上をいくたくましさで返事がきました。

 かつて花まるだよりのコラムでも書いたのですが、長男が生まれてすぐのころ、夜中に授乳のために起きた妻と「背中合わせ」で座ったことがありました。妻はそのとき「これが一番安心するから、一番嬉しい」と言っていました。ほかの何の作業をするよりも背中合わせでぬくもりをくれと言った妻ですが、いまやその背中が「あいている」宣言。
 私は、そんな妻に全幅の信頼をおき、子どものことを任せています。それはいわば背を預けている状態ですが、きっと気張らずそれぞれの背中があっていいのでしょう。泣いてさすられる背中、かつて合わせた背中、あいている背中、預けた背中。

 わが家においては、父親として、家族の幸せにまつわるすべての責任をまっすぐ「背負う」覚悟さえ持っていればいいのだと思っています。そうしていつか私の背中があいたころには、みんなこの家の外にもたくさんの幸せを見つけていると思うから、です。

花まる学習会 坂田翔

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