【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑮】ピカソの自由研究②『てんとう虫の祭壇』坂田翔 2025年7・8月

【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑮】ピカソの自由研究②『てんとう虫の祭壇』坂田翔 2025年7・8月

 最近、わが家でてんとう虫を飼いはじめました。2歳の長男が初めて捕まえた、かわいらしい「ナナホシテントウ」です。「息子が捕まえた虫! 大事にせねば!!」というわが妻の熱はすさまじく、AIに飼育方法を聞き、AIに飼育環境の写真を送ってレビューしてもらっています。
 飼育開始から数日経つと、「帰りにアブラムシのついた草を探して採ってきてください!」というメッセージが妻から届くようになりました。すっかり暗くなった帰り道、スマホのライトで線路沿いの雑草を照らしつつ歩きます。人目は気になりますが、てんとう虫のため。
 家庭内の私の序列が、また一つ下がったのを感じる夜道でした。「黒星」を背負っているという意味では、私はナナホシどころではないな、と変な笑いが出ました。

 とはいえ、私もてんとう虫に並々ならぬ興味が湧いていました。成虫の寿命が2~3か月くらいなこと、幼虫の見た目が「噛んできそうな怖い虫」っぽいこと、エサとなるアブラムシには赤も緑も、黒も茶色もいること、「アブラムシといえば赤でしょ」「いや緑でしょ」と夫婦の認識にずれがあったことなど、てんとう虫を中心に学びの多い日々でした。正直はじめは「妻よ、てんとう虫のためにそこまでするのか」と思っていた部分はありましたが、嬉しそうにする妻を見て、「まあ妻の笑顔のためと思えばいいな」と、私も前のめりになったのでした。
 夫婦であれやこれや試したくなった結果、成虫4匹、さなぎ1匹、終齢幼虫1匹がともに住まう、にぎやかな家になりました。この時点で、盛り上がりすぎたのも感じていました。夫婦ともども、「ねえ、この先どうする……?」と、彼らの進退のことを考える時期になってきていました。

 そんな頃のある夜、てんとう虫の飼育ケースを覗き込む私に「もう!」と言ったのは、捕獲者の長男。確かに、それは「親が自分よりてんとう虫を構う瞬間」にほかなりません。これがタイミングだな、と思いました。そもそもこれは、わが子が捕まえたてんとう虫を大事にしようと思って始めたことですから、彼の気持ちを飛び越えて親が盛り上がった時点で、そこにはすれ違いがあったのです。わかってはいたけれど、戻るタイミングを失っていただけだったのです。妻とも話し、てんとう虫たちは翌朝に良い形で自然に戻すことにしました。

てんとう虫を捕まえた長男
息子のために本気で飼育する妻
妻のためにアブラムシを探す私

 それが円でつながったように想いがめぐり続けるならいいのですが、長男は早めにこの輪から「いち抜け」していたので、実態はわが子と外れたところで夫婦が手をつなぎ、真ん中にてんとう虫を祀っていただけでした。息子視点では「てんとう虫の祭壇を拝む両親」という恐ろしい光景が見えていたことでしょう。

 さて、こういうことは世の中でも多いのではないかな、と感じました。祀るものがてんとう虫ではないにせよ、「子どもは興味を失っているのに、さも子どものためであるかのように祭壇を拝む両親」というのは、心が痛いながら、どうもありそうです。
 「そもそもあなたがやりたいって言ったんでしょ!」、「あなたのためにここまでしたのに、なんであなたが最初にやる気をなくすんだ!」のようなことです。坂田家の「てんとう虫祭壇事件」が、「ぼくのために本気で飼って」という息子の願いでなく、親の勝手な盛り上がりから始まったように、です。

 初めは純粋な愛である。「やるなら、やりきったほうがいい」という大義名分がある。だから、引き際がわからなくなる。

 わが家にも、こういうことは何度も来るのだろうな、と想像できました。内容の深刻さはさまざまでしょう。起点は子どものようであり、妻のようであり、そういうことを喜ぶ私のようでもあり、曖昧になるでしょう。
 だから「防ぐ」ことは考えなくていいかな、と思いました。ほろ苦さがあったとしても、最後には「キュートな思い出になるように」と考えられれば、引くことも着地することも、怖くない。
 「そんなこともあったね」と笑えることが、家族としての強さだと、信じています。それが増えれば増えるほど、揺るぎない愛を感じられる居場所になると思うから、です。
 子の幸せを祈るのに、祭壇は必要なさそうです。

花まる学習会 坂田 翔

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