昨年40歳になりましたが、一番の心境の変化は、健康に対する意識が高まったことだと感じています。適度な運動は以前から心掛けていたのですが、ついに食事も意識するようになりました。知人から「煮干しでとる出汁が体に良い、栄養をたくさん摂ることができる」と聞き、煮干しと昆布の合わせ出汁をとって味噌汁を作っています。出汁の世界は奥深く、素材の分量、水に浸ける時間、火加減など、考えることはたくさんあります。とうとう妻から「味噌汁に関してはあなたに任せるわ」という言葉をもらい、さらに精進せねばと思う今日この頃です。
さて、そんなわが家には4歳のひとり息子がいます。超がつくほどのママっ子で、言葉を発するようになってからは、何においても「ママがいい」と言います。朝起きてオムツを替えようとすると「イヤだ、ママがいい」、ごはんを食べるときに隣に座ろうとしたら「イヤだ、ママがいい」、お風呂に一緒に入らない? と聞いても「イヤだ、ママがいい」、夜一緒に寝るのはどう? と下手に出ても「イヤだ、ママがいい」……何を聞いてもイヤだと返されることが大半でした。ママは特別な存在だと頭では理解していても、段々と虚しさが込み上げてくる日々。いくら愛するわが子でも、こんなに「イヤだ」と否定されると、何だか自分の存在まで否定されているような、自分は父親失格なのではないかという気持ちになることもありました。
それでも家族3人の生活は続きますから、泣きごとは言っていられません。妻が息子と向き合ってくれているぶん、家のことは自分がやらねばと思い、掃除や洗濯を頑張りました。それが家族のなかでの自分の役割だと割り切ってやってきましたが、「父親としての自分」が満たされていない虚しさも日々大きくなっていきました。でも、自分ではどうしようもない。そうしているうちに、息子が寄ってこないことに慣れてしまったのでしょう。大事なものを見失っていることに、GWの間に気づいたのです。
GW期間中も妻は仕事で不在でした。息子の体調が良くなかったこともあり、家でのんびり過ごすことにしました。息子と二人きりの時間がたっぷりある、それなら思い切ってとことん彼のペースに合わせて過ごそう、と決めて一日がスタート。
まずは、レゴで遊んだのですが、完成するとすぐに息子は破壊します。「せっかく作ったのになんで壊しちゃうの?」という言葉が出かかりましたが、飲み込みました。その後、プラレール→トミカ→お絵描きとコロコロと遊びを変える息子に対し「いまこれを出して遊びはじめたのになんで?」という思いが込み上げましたが、我慢我慢。食事のときに座る席も「今日はここがいい」と言われ、「いつもの席でいいじゃん」と言いかけましたが、希望の席に移動しました。洗濯物を畳んでいると「お手伝いする~」と言われ、「このあとまだやらなきゃいけないことが……」と思いましたが、「ありがとね~」と返して手伝ってもらいました。寝る前も「もうちょっとテレビが観たい」と言われ、「もう終わり、布団で寝るよ」と伝えようと思いましたが、やめました。ソファで寝転がりながらテレビを観ていると、数分後には寝息が。抱っこして布団へ運びました。
特に予定を入れなかったことで時間に余裕があったのが功を奏したのでしょう。息子のペースに合わせて過ごしたことで、彼と呼吸が合い、心を近づけることができたように感じました。と同時に、いままでいかに息子のペースを無視して自分のペースで物事を進めていたか、ということに気づきました。息子が私に寄ってこないのを仕方がないと結論付け、いつしか私から息子に寄っていくことを諦めていたのでした。
そんなことを考えながらひとり反省していた夕食時、味噌汁を飲んだ息子が「パパが作った味噌汁、めっちゃうまい!」と満面の笑みでグーサイン。その言葉を聞いた瞬間、息子が私を父親として見てくれているのだと心から実感することができたのです。彼にとって特別な存在であり続けなければ、そう思わせてくれた息子と味噌汁に感謝です。
息子に「めっちゃうまい!」と言ってもらえるよう、今日も出汁をとって味噌汁作りに励みます。
花まる学習会 鈴木和明