4月号に掲載された「花まるパパ社員のわが家の自由研究」コラムがありがたいことにご好評をいただきました。多くの方から「先生のおうちもわが家と一緒で安心しました!」というご意見をいただいたり、以前の教え子のお母さまから「花まるの先生方がずっと外の師匠でいてくださり感謝です」とわざわざご連絡をいただいたり。等身大の子育てをさらけ出したコラムですが、共感をいただいたことは嬉しい限りです。一つ大きな理由があるとしたら、わが子も花まるに通っているからこそ、会員保護者のみなさまと同じ悩みを共有できるということもあるのかなと思います。
さて、今回は花まるに子を預ける親として、悩み深い「花まる漢字テスト」を自由研究のテーマとしてみます。
いまは2年生になった娘、漢字の練習は「当然やるもの」として受け入れていますので「言われれば」渋々やる程度にはなりましたが、1年生の一学期、初めての花漢に向けた一か月間はなかなかの修羅場でした。
花まる学習会の方針として「漢字だけは先取りОK。泣いてもわめいてもやらせていい」と標榜しており、わが家でも「最初の花漢こそ大事!」と気合いを入れてカタカナ、漢字を中心に練習を重ねていきました。初めのうちこそ、和やかに練習をしていましたが、HITが近づくにつれ、日に日に妻と娘が険悪になっていきます。
「あのさ、何度言ったらバランスよく書けるの?」と語調強く詰める妻の様子をたびたび目にして、涙目になる娘の姿を見ていました。妻がそう言いたくなる気持ちもよくわかるけれど「漢字なんてもう大嫌い!」となる日も近そうだな……と不安を覚えました。
かといって、頑張って教えている妻に「もう少し伝え方を……」と指摘するのは角が立つし……。いろいろと考えた結果、妻が授業で帰りが遅い水曜日と日曜日は私が一緒に練習をするという、何のひねりもない当たり前の結論に帰着しました。
「パパはママとは違うよ~。めちゃくちゃ楽しく教えてあげるから!」と意気込んだのも束の間。「こんなにいら立つのか!」と気づくまでに10分と要しませんでした。
たとえば「貝」という漢字のバランスが非常に悪かったので「上が大きくて下が小さいんだよ」と教えていると、それが気に食わないらしく「いいんだよ! だって、ママにそう教わったもん!」と言い張り、言うことを聞かず。「貝」だか「見」だかわからない中途半端な字を書き続ける娘。「じゃあ、見てごらん」と漢字ポケット辞典で一緒に調べると、私の言う通りだったことに渋々納得して、無言でノートに書きはじめるのですが……。十分バランスも整って書けていることを確認し「上手に書けるようになったね!」と伝えても、娘は完全無視を決め込み、これみよがしに、書いた字を何度も消して書き直すのです。「もう、いいよ。きれいだよ!!」と伝えても無視。
(……はい。カッチーン。)
「そんな態度でやるんだったら、もう二度とパパは教えません! 勝手にしなさい!!」とただでさえ漢字アレルギーが見え隠れする娘にとどめを刺すかのごとく突き放しの言葉が口をつきました。どうしてこうも上手くいかないのでしょう……。
その夜、妻と漢字練習の方針について話しあいました。これが意外とポイントだったかもしれません。自身も実際に教えてみて、妻がいら立つ理由を十分に理解しているから前提として感謝の気持ちが湧き上がります。お互いに同じ方向を見て同じように困ったからこそ、感情的にならずに話しあえたのかと思います。ここまで悪い雰囲気になるくらいならば、とりあえず漢字の練習は横において、しばらくはカタカナの練習を中心に進めていこうと相談して決めました。
妻がノートにひらがなで文章を書いてその文章をすべてカタカナに直すという練習法をとったのですが、その内容がふるっていたことでだいぶ空気が和らぎます。
「ままはのんちゃんのことがだいすきです」とか、娘の好物の「きゃべつすーぷをつくってあげるね」など、文章自体を読むだけでハッピーな気持ちになれるような仕掛けを打ったのです。この辺はさすが教室長を長年やっているだけあるなと妙に感心しました(妻もこのコラムを読むので少しだけ持ち上げさせてください)。
さらにノートに付箋をつけて「じかんがあったらやってみてね」と書き残したことで、娘にとっては強制感や圧迫感が薄れたようです。私たちは直接見て教える時間を減らし、〇つけと付箋へのメッセージ残しに特化したことが奏功したようです。
そして何よりも「この件でこれ以上疲れたくない……」というのが本音で、多少なりとも一回目の花漢での合格に対して諦めがあったことが、圧力を緩められた一つの要因だったかもしれません。
しかし、いかにいままで花漢の練習に付き添っていただいている親御さんの大変さを理解せずに「漢字は泣いてもわめいても~」と練習を推奨してきていたことか。実際に当事者となり、泣いて、ふてくされる姿を見ると感情的になってしまうことはよくわかり、改めて感謝の念を抱きました。
とはいえ、大変ですが……学年で習得するべき漢字は最低限身につけておかせたいところです。
いま「漢字って覚える必要あるの? もうキーボードを打ち込めば出てくるのだからいらないんじゃない?」という子が増えています。確かに「書く」ということにおいてはそういう場面は増えていくことでしょう。でも、熟語で使われている漢字の意味から文章を読み取ることは、たとえば問題を解く場面だけではなく、本を読むときにも内容を深く理解するために必要なスキルです。少なくとも情報を正しく受け取るためには漢字は避けては通れないでしょうし、何よりも漢字をスラスラと読めれば多くの知識を得られますし、書ければ豊かな表現力が身につくことは間違いありません。
花漢は学期に一度の定期的な親子への負荷ではありますが、負荷があってこそ親も子も学び育つものです。わが家もずっこけたり、落ち込んだりしながら一歩一歩進んでいきます。
これからも一緒に頑張っていきましょう!
花まる学習会 相澤樹