新米パパの私は妻の心情をわかっていないことが多々あり、それゆえ「なんでそんなに怒るのか?」「そんなに厳しくしなくても」と思うことは少なくありません。
2歳の娘を妻がアンパンマンミュージアムに連れていく日のこと。アンパンマンが大好きな娘は「アンパンマンいく!」と前日から大興奮。朝早く起き、「着替えるよ」と声をかけられて服をサッと脱ぐところまではよかったのですが、興奮からか服を着ようとしません。裸で部屋を走り回ったり、「この服いやだー!」といたずらにポイっと投げたり。段々と妻の顔から笑顔が消えていきます。
(あ、また始まった……)
もう見慣れた光景からこの先を想像する私。数分後、「もういい、今日は連れていかない」
(まあこうなるよな……)
それを聞いてもまだ笑顔で「だめ、いく」と無邪気な表情を浮かべている娘。しかし「もういい。勝手にしなさい。連れていかないから。」と無表情で言い放たれると、これは本当に連れていってもらえないと感じたのか、「いやー!」と言って泣き始めます。いや、泣き叫び始めます。「アンパンマン行きたい~~~!」「連れていきません」「アンパンマーーーン!」「もう知りません」「いやあ~~~!」
ママと行きたいと言っていたこと、それから私は仕事の日だったこともあり、迷いましたがスケジュールを変更して私が連れていこうと決めました。「パパが連れていくよ」とその場に言い残して準備を始めました。数分後、別室で準備を済ませて戻ってくると状況が一変。「私が連れていくわ」と妻。「え?」と返すと、妻は娘のほうを見ながら「『ママが言い過ぎたね、ごめんね』って謝って、ママと一緒に行くことになったんだよね」と。娘はニッコリして頷いています。
「なんだそりゃ、仕事のスケジュールを変更したのに。だったらそんなに怒らなければいいのに」とはもちろん口に出さずに飲み込み「よかったね!」と笑顔で二人を送り出しました。
数分でなぜ変わったのか。後日、妻に聞くと「お、これは今後も使えそうだ」と思える発見がありました。
あのとき、精神的にも体力的にも疲れており余裕がなかったそうです。まるで感情だけがどんどん山を登っていくようだと。負の感情が湧き上がり続ける、ある種のゾーン状態。しかし「パパが連れていくね」の一言で、ハッと我に返ったと言います。「あ、マズイ。言い過ぎた」「なんで私はあんなに怒っていたのか」「そんなに怒ることだったのか」と。今回は「パパが連れていくね」がそのゾーンを解く鍵になったわけです。
これを機に、もし今後同じようなことが起きた際はどうするといいのかと聞くと「一時的に娘を引き離してほしい」とお願いされました。それも何も言わず。無言で妻から娘をサッと遠ざける私の姿が、「あ、いま私言い過ぎている」とゾーンを解く鍵になるようです。
続けて、一応聞いてみました。「『ちょっと怒り過ぎではないか? 落ち着いたら?』という言葉ではハッとならないんだよね?」わかっていましたが、もちろん否定されました。「もしそうやって言われたら『じゃああなたが全部やれば』と言うかな」と。ゾーンを解くどころか“火に油”になります。家のことは概ね妻に任せっきりの私はぐうの音も出ません。怒りすぎていたら静かに引き離す。妻の感情を鎮める鍵を一つ手に入れました
さて、体力的・精神的に余裕がない等から怒りすぎてしまうというような上記のケースとは異なり、これが理由で厳しくしていたのかと理解したことも一つあります。
なんでそんなに厳しいのか、と思う場面は主に三つ。
1.お風呂あがりに髪を乾かさず、いつまでも裸で走り回る
2.「まだ遊びたい」と帰宅時間や就寝時間を過ぎても帰らない・寝室に行かない
3.寒くても「この服(薄着)がいい!」と言い張る
割と最近まで「そんな髪を乾かさないぐらい、裸で走り回るぐらいいいのに」とか「気の済むまで遊ばせたら」とか「服なんてなんだっていいじゃん」と思っていました。体調を崩すことを怖がっていたら強くならない、と。でもふと、「あ、だからなのか」と思い当たりました。子どもが体調を崩したときに、仕事を休んで病院に連れていき、体調が悪いことで機嫌が悪くなるわが子の面倒を日中見るのは妻。私は子どもが体調を崩そうとあまり関係なく自分のスケジュールが進み、妻はスケジュール変更を余儀なくされる。子どもが体調を崩したときに責任をとるのは誰なのか。そういうところから厳しさがきているのか! とスッキリしました。
妻に「こういうこと?」と答え合わせをしたところ、完答でした。「風邪ぐらいひいたって大丈夫」「そうやってたくましくなっていくでしょ」という考えは、自分でも責任がとれるときに口にしようと思います。
花まる学習会 榊原悠司