花まる学習会では会議に入る前に、発言者が”小咄“を披露する文化があります。あるときの私の小咄…「4才の息子が、『ちょっと耳貸して~』と言うので、(秘密の話かな?かわいいなぁ)と思って耳を近づけると、にやにやしながら鼻くそを耳の中に入れられました」というエピソードでした…。高濱の言葉をかりると、母にとって男の子は別の生き物…カブトムシ、宇宙人です。
子どもと過ごす時間が長い連休の中日。(私、一時間ずっと、息子のことを注意しかしていないなぁ…)と、ふと気がつきました。がみがみ叱り続けているわけではないのですが、
・ごはんは座って食べるよ。こぼさないよ。
・テレビは離れてみるよ。
・「麦茶!」じゃなくて、「麦茶をちょうだい」でしょ。
・お姉ちゃんを、おもちゃのハンマーでたたかないで…など。
口うるさい母親でしょうか。
では、それらの注意を「しないほうがいいのか」と自問自答してみると「道理がわからない年ではないし、ここでなあなあにしたらどんどん領域を広げそう」という結論になる。注意されない=許された、となり、今度は逆に、ちゃんとしている姉がすねてしまうという事態も避けたいので、やっぱり注意してしまうというループです。
一つの解決策としては、花まる流の伝え方。注意ではなく、”自然とそうしたくなるような、楽しい提示の仕方“。たとえば「誰がいちばんいい姿勢で食べられるかな、今日のチャンピオンは…?」「『麦茶をちょうだい』を丁寧に早口言葉で3回、10秒以内に言えるかな?」など…遊び心を取り入れた声かけは、効果的です。
最近読んだあるインタビューで「母は女優になるといい」という話題があり、共感。ただ、母である自分がそういう、”女優“”演じる“”花まるモード“になるのが、正直、億劫な日もあります。日常の延長ではなかなかなれない。もちろん、自然にできる方もいますが、私の場合は自分が疲れているととても無理で、充電100%のときにようやく「よし!楽しませるか!」というスイッチが入る感じです。
もう一つ、最近思いついたのが「何もないときにこそ、仕込む」作戦。子どもが注意されるような行動をとっているときに、こちらの声かけで「よいしょ!」といい方向にもっていくのはかなりパワーを使います。ただ、一日の中で”何もない平和なとき“もなくはない。そこをすかさずキャッチして、ひたすら「思い出しほめ」をします。
「あー、昨日のあの時間、お姉ちゃんと、とっても仲良く遊べていたよねぇ」「この前の朝ごはん、すごい上手に食べたね。いい姿勢だったね」など。
思いつくままに、なんでもほめてみる時間。「ほめる」のは、瞬間をキャッチして認めてあげるのが一番効果的ですが、「思い出しほめ」だって、されていやな気分になるわけではない。そのことで、息子の行動が激変したということはないですが、平和な時間がより平和になる。「平穏時にほめておく」ことで、私自身が(今日は一日注意しかしなかった…)という苦い気分を消すのには、とても効果がありました。
西郡学習道場の代表である西郡が「演劇と教育」という講演で語っていました。―授業は即興の芝居そのものであり、子どもを引きつけ続けるために言葉のテンポをズラしてみたり、より集中させるために声のトーンを変化させてみたり。舞台作りには多くの工程があり、その段取りも重要。授業の準備や流れも、まさに段取り勝負―
一日中、女優になり舞台を作り続けるのは難しいですが、自分が元気なときは子どもたちをうまく乗せられるようになろう。そのための仕込み、段取りも、意識してみようかな、と思います。(花まるグループ会員の方は「花まる子育てカレッジ」で、無料で講演動画を視聴できますので、ご興味がある方は、ぜひご覧ください!
花まる子育てカレッジ|https://www.hanamaru-college.com/)
最後に、私にとって宇宙人である息子がはまっている本の紹介です。
30冊以上出版されている『おばけずかん』シリーズ。イラストと「おばけ」ということばに惹かれて、図書館で息子が自分で選びました。年中にはまだ早いかなという厚さだったのですが、読み聞かせたところ、くいつく、くいつく…。子ども自身の本との出合い、選択が大事だな、と感じた一冊です。作者は斉藤洋さん。私も子どもの頃、『ルドルフとイッパイアッテナ』や『ジーク』が大好きだったなぁ、と懐かしくもなりました。
花まる学習会 勝谷里美