新しい年の始まり。その初回のコラムの題材としてどうかとは思ったのですが……、最近の「子育て」のことを考えたときに私の頭によく浮かぶのは、「もう、子育てよくわからん」という言葉です。
たとえば、読み聞かせ。小4の長女や小2の長男が小さいときは、眠る前に本を読んであげていました。私も親に読んでもらっていたし、自分にとっては楽しく好きな時間でした。
ところが、3歳になった次女への読み聞かせはなかなかに手強い。
まず、順番が待てない。長男も、まだ時々「読んでー」と絵本を持ってくるので読んでいるのですが、次女はそれを待っていられず「次も自分、いつでも自分」とぐいぐい押しのけてくる。
次に、本を読みはじめても話の本筋ではないところが気になって、なかなか話が進まない(絵に描かれている細かい別のものに注意がいき、すぐに口をはさんでくる)。
最終的には、自分で本を声に出して読みたがる。まだ字は読めないので、聞いた言葉や想像の言葉をつらつらつなげて話していく。意味不明ですが、とりあえずうんうんとうなずいていたら、「わかった?」や「聞いてた?」など、確認の言葉がとんできます。
読み聞かせに正解があるわけではないので、どんな形でもその子自身が躍動して楽しめていればいいとは思うのですが、それにしても…本当に手強い。
夜の読み聞かせは、だんだんと「静」の空気を出して寝かしつけにもっていきたいのに、次女が自分で声を出しているとむしろ「動」の状態に入っていき、そこからもうひと暴れ。(早く寝てーーー、と思う気持ちは否めません。)
上の二人のときはたまたま二人とも「静」の読み聞かせに向いていただけだったんだなぁ、と何年か越しにあの頃の小さかった二人への感謝の念も湧いてきました。
高濱が「母親だからできること」の講演会などで話す例の一つに「母親は、男の子をカブトムシや宇宙人と思って観察するといい」というものがあります。それだけ自分と子どもとはちがう生き物なのだという提示なのですが、まさにそれです。
子どもが一人から二人に増え、三人になって少しは経験値が上がった部分もありますが、一人ずつ別々の星に住んでいる宇宙人だよなぁ、というのが実感。経験値にそってこちらがよかれと思って行動したところでまったく思わぬ反応が返ってくるので、「もう、子育てよくわからん」となるのでしょう。
また、三人の子育てをしていると「すごいですね、大変ですね」と気遣う声をかけていただくこともあり、ありがたいのですが、かといって一人よりも二人よりも大変と比べるものではないんだろうなぁ、とも思います。
たとえが適切かはわかりませんが、私個人の感覚としては、パーキンソンの法則(仕事は、与えられた時間をすべて満たすまで膨張する、というもの)と子育ての悩みは似ていて、親は自分に与えられている時間分、子育ての悩みを抱えてしまいがちな気がするのです。なので、まわりの誰かと比較して「大変」「大変じゃない」などではなく、「いま自分自身が大変と思っているならば大変」というその事実がすべて。
まわりくどくなってしまったのですが、何を言いたかったかというと、私自身は自分の「もう、子育てよくわからん」という言葉が、いい意味でふっきれた明るい気持ちから来ているのか(わからない、から楽しもう!)、もしくは疲れて投げやりになっているのかを分析すべき。
もし後者ならば、自分が“大変”と思っている気持ちを最優先で尊重して、休む/自分の好きなことに没頭する時間をとるなど、自分のご機嫌カードを切るタイミングなので、躊躇なく切る!(ご機嫌カード…親が持っておくとよい、親自身をご機嫌にするための手段、として高濱が提唱しています)
そんなことを考えた年始でした。楽しくも慌ただしい年末年始を終えて、一区切りのこの時期。子育て中のみなさん、ぜひ自分の心のための時間も大切にお過ごしください。
花まる学習会 勝谷里美
🌸著者|勝谷 里美
花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、3児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか