【花まるパパ社員のわが家の自由研究㉓】バラの自由研究⑥『いないいないばあ』榊原悠司 2026年4月

【花まるパパ社員のわが家の自由研究㉓】バラの自由研究⑥『いないいないばあ』榊原悠司 2026年4月

 4歳の娘、2歳の息子とお風呂に入っていたときのこと。息子の機嫌が少し怪しくなったので、楽しませようと顔を湯船につけ「ばあ!」とやりました。すると二人とも「きゃははは!」と弾けたように笑い「パパ、いまの顔を隠すの、もういっかいやって!」「やって!」とせがみます。何度やっても喜び、こちらもそれが嬉しくて何度もやってしまいます。
 楽しませようと思えば自然と「いないいないばあ」や、隠れて「わっ!」とよくやっているので、おもちゃなどを使わずともそれで喜んでくれる、特別なことをせずとも顔や姿を見せるだけで一瞬にして子どもは喜ぶものだ、と自分のなかでそれが当たり前のことになっていたと気がつきました。

 おもちゃを使わずとも、といえば、昨年末にこのようなこともありました。

 街にイルミネーションが光り輝き、教室の子どもたちの会話にも「クリスマスプレゼント」のワードが出てきた頃。わが子にも「サンタさんに何もらいたい?」と娘に聞くと、娘から「ばあば!」と返ってきました。「え?」と聞き返すと「そうしたら、いつでも会えるから!」と無邪気な笑顔で言われ、ふと十年前のことを思い出しました。

 突然の母からの連絡でした。
「おばあちゃん、もうあとちょっとかも」
 入院したときからその心づもりはしていたので、割と淡々と受け止めたのを覚えています。会話ができる状態ではなかったのですが、「会っておかなければ」という思いで休みを取って実家のある名古屋へ。母と病院に向かい、ベッドの上の祖母を見つめているといくつもの光景が蘇ってきました。いつも心配して、かわいがってくれたこと、時にそれが疎ましく悪態をついてしまったこと。

 高校までは一緒に暮らしていましたが、大学に入って上京すると、一緒にいない時間が大半に。年二回は帰省するようにしていましたが、帰るといつも喜んでくれ、「いつまでいるの?」と一回の帰省中に何度も聞かれたものです。そして最後はいつも決まって「もう帰っちゃうの?」「また来るから!」というやりとり。

 寝たきりの祖母を見ながらそんなことを思い出していました。面会時間が終わり、立ち上がりました。いつもの「もう帰っちゃうの?」が聞こえてこないことに大きな寂しさを抱えつつも「また来るね」と言って病室を出ました。

 名古屋駅で母と別れるとき、「これ」と言って封筒を渡されました。中には現金が。
「おばあちゃんから預かったの。『これ、あの子に渡してやって』って」
 帰省のたびに「はい、これ」と言ってお小遣いをくれた祖母。いつも「ありがとう!」と気軽に受け取り自由気ままに使っていましたが、このときは手が伸びませんでした。最後の最後までかわいがってくれようとしている祖母からのお小遣い。重みを感じ、簡単に受け取ってはいけないような気がしていました。しかし逡巡したのち、受け取りました。
「またすぐ来る。これ、おばあちゃんに会うための新幹線代に使わせてもらうわ」
と言って。

 祖母に会うためにこれを使おう。そうしてまた翌週に名古屋へ。
 そのときが最期となりましたが、悔いのないお別れができたと思っています。

 子どもが起きている時間に帰ると、玄関まで走ってきて飛び跳ねて喜んでくれます。おいしいものを食べたときや、欲しいおもちゃを買ってもらったときなど、嬉しそうにすることは多々ありますが、どれほど素晴らしいものも、好きな人に会ったときの喜びようには敵いません。そのときが一番満たされた顔をしています。いまは、子どもが喜ぶ顔を見たい、喜ばせたいとこちらが思っています。でも、いつかは親離れをしたり実家を出たりと、一緒にいられなくなります。そのときがきたら、逆に「ばあ!」と顔を見せにきてこちらを喜ばせてくれる子であってほしいなあ、といまのうちから思うのでした。

花まる学習会 榊原悠司

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