少し前に、久しぶりに次男(4歳)の幼稚園参観に行ってきました。先生の話を一生懸命聞き、工作などを楽しむ息子を見て、家の外ではこんなに頑張っているんだなと、胸を打たれました。そして、夕方になると、機嫌が悪くなり、大声で泣きわめくわが子も愛おしく思いました。
ふと、どうして次男には、こうも寛容でいられるのだろう? と疑問がわいてきたのです。「きっと、お兄ちゃんの成長を見てきたので、いまのわが子は、いまだけだと知っているから」という答えが浮かびました。
その一方、長男(小4)に対してはというと、ついいろいろと言ってしまいます。「宿題やろうか」から、プラスアルファの課題まで、隙間時間がちょっとでもあると、「やろうか!」と声をかけ、花まる流で、「10・9・8・7……」とカウントダウンし、息子の行動をどんどん促す私がいました。
しかし、ある日ふと「本当に、これでいいのだろうか?」という葛藤が生まれました。そもそもわが子にとって、小学校高学年がどんな時期であってほしいか? と考えたとき、「没頭する日々」という答えが出てきます。
子どもが伸びる瞬間は、主体的に取り組むときです。遊びでも勉強でも、自分で決めて取り組む瞬間、主体的になります。さらに、夢中になるときこそ、没頭するときこそ、一番伸びると感じます。そこで、「できるだけ、言わない」と心に決めて、長男と向き合うことにしました。
ある日の夕飯後、長男を観察していたら、YouTubeを見はじめました。「宿題が終わっていないよ」と言いたくなる自分を抑え、静観することに。チラッと画面を見てみると、終電後の大崎駅の様子を見ていたのです。気づくと、私も息子の横にいました。そして、酔っ払いが駅員さんにおもしろおかしく運ばれる様子などを見て、一緒に大笑いしました。「そういえば、私も小さい頃、母と一緒にテレビを見て笑うのが好きだったな」と、そのとき思い出しました。その後、寝る直前に、思い出したかのように宿題をやり出す息子の姿がありました。
また、ある日、上野東京ラインでスタンプラリーをやっていることを知った長男が、「パパ一緒に行こうよ」と誘ってきたのです。「いいね!」と言って、次男と3人で行ってきました。その夜、一生懸命レゴで何かを作り出す息子。一時間ほどして、「できた。常磐線のグリーン車!」と見事な車両ができあがっていました。
そして、空に星がたくさんあるのに気づいた夜には、「星を見に行きたい」と言い、近くの公園に長男と二人で行きました。天にかざすと星座がわかるアプリで、「あれが火星で、あれが木星か、そして、オリオン座……」など、肉眼で見える星とアプリの星座をずっと見比べていました。
また、最近では、「ぼく、将来タイムマシーンをつくりたいんだ」と、夢を打ち明けてくれたのです。その後、「だから大学の物理を教えて!」と言ってきました。「じゃあ、相対性理論を学ぼう」とYouTubeにある相対性理論に関するおもしろ動画を二人で見ました。爆笑しながらも論理をなんとなく理解した息子は、一生懸命、妻に説明をしていました。
これら長男の様子を見ていて、彼が夢中になれる「間」を大事にしたいと思うようになりました。
それと同時に、息子たちには、世の中のすべてのことに意味があり、この世界は、おもしろいことで満ちているということを伝えたいと考えています。
「あれやったの?」「宿題は?」など、言わなければならない瞬間もあります。しかし、わが家の場合、先まわりして「これをやったほうがいいのでは?」と親が言いすぎてしまっているという気づきがありました。どうしても言わなければならないときは伝え、そうでない場合は、グッと抑え、わが子が何かに夢中になる「間」をつくろうと思っています。いまのわが子は、いまだけ。みなさまは、お子さまにとって、いまがどんな時期であってほしいですか?
教室でも、子どもたちが夢中になる・没頭する「間」をつくりながら、向き合ってまいります。
花まる学習会 臼杵允彦