用事・指示・命令ばかりになっていないか?
ある夜。私の喉の調子が良くありませんでした。明日も仕事で結構喉を使うしどうしようかな、と悩んだ結果、子どもたちに「今日の夜は、ママは喉が痛いので、ジェスチャーしかしません」宣言をしてみました。困ったら相談にのるけれど、基本的には自分たちで考えて動いてね、と。
小5の長女はまったく問題なし。困ったら筆談もできますし、基本的に自分のやりたいことをやりたいようにのびのび過ごしていました。
小3長男は、少しとまどい気味。普段は「お風呂に入ったら?」「そろそろ宿題の時間だよ」と私が声をかけているからでしょう。それでも「ママはしゃべれない、自分が動かなくては」という危機感をもったのか、遊ぶだけではなく寝るまでの必須タスクにも、予想以上にすんなり取り組んでいました。
そして、年少の次女。当たり前のように普通に話しかけてきます。その無邪気さがかわいい反面、返事をするのもなかなか辛い。ただ、次第に「これも新しい遊びだ」と感じたようで、身振り手振りやお絵かきクイズでやりとりを楽しむことができました。
今回、怪我の功名だったのは、私自身が「普段いかに子どもたちに指示ばかり出しているか」に気づけたことです。
以前、花まる学習会の進学塾部門 スクールFCで国語を担当する仁木の講演で聞いた【普段の親子の会話が、“ビジネストーク”(用事・指示・命令)ばかりになっていないか】という問いを思い出しました。
無意識のうちに、「次はこれして、あれして……」という用事や指示ばかりを口にしていた自分を反省。時と場合にもよりますが、口をつぐみ、距離を置いて、子どもの自然な動きを見守ることも大切にしよう、と思えた時間でした。
すぐに答えてしまっていないか?
そう思った矢先、「あー、私、また指示を出してしまっているかも」と気づかされた出来事がありました。今回は、わかりやすい【指示】ではなく、見えない【指示】ともいえるようなもの。
このコラムでも何回か紹介している「100かいだてのいえ」シリーズ。『うみの100かいだてのいえ』(偕成社)を、次女に読み聞かせていたときのことです。
この絵本は縦に長い見開きで、10階ごとに部屋が描かれ、部屋から部屋へと階段やはしごなどのルートがあります。ほんの一例ですが、タコの部屋では吸盤の着いた足が階段代わりになっていたり、ラッコの部屋では海藻がはしごになっていたり。
次女は、迷路をなぞるように、指で道を追いながらその本を読んでいるのですが、割とすぐに「ねー、この部屋の階段はどこ?」と尋ねてきます。そして、私は、すぐに「ここだよ」と答えてしまっていたのですが……。「大人の視点で『ここ』と決めてしまわなくてもよいのでは?」と気づきました。
そもそも、いくらでも想像を広げられる絵本なのだから、正解はない。「どこを通って次の部屋に行けるかな? わくわく!」を子どもと一緒に楽しめばいいし、「ママはここだと思ったけど、どう思う? ほかにもあるかな?」と、想像を促す質問を投げかけてもいい。
すぐに、いわゆる“答え”に手を届かせようとするこれも、いわゆる指示の一種かもしれないなぁ、と、またまた反省でした。
とはいっても、反省してばかりでは、結局子どもにその重苦しい雰囲気も伝わってしまうでしょう。大切なのは、目の前の子どもが躍動しているか。子どもの躍動感にアンテナを張って、声をかけていけたらよいな、と改めて思いました。
花まる学習会 勝谷里美
🌸著者|勝谷 里美
花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、3児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか