6才長男。お腹の部分にポケットのあるトレーナーを着ているとき、ポケットにどんぐりを入れ「へそどんぐり!」と見せてきました。「いっぱい集めたね」と言うと、どこか不服そう。「ほら!へそどんぐりだよ!」とドヤ顔。なんだなんだと思ったら、どうやら「へそくり」という言葉を『おへその近くの栗』だと思っていて、自分が「へそどんぐり」という新しい言葉を生み出したことを自慢していたのでした。
子どもの「語彙力」は学力に影響すると言いますが、単純に言葉が豊かだと、家庭が和やかになるなぁ、と思います。幼少期の言い間違いや使い間違いのかわいらしさに微笑んだり、年齢があがって難しい言葉を使いこなすのを見て「おお!」と感嘆したり。言葉の彩りでつくられた家族の忘れられない想い出も多いのではないでしょうか。
また別の切り口。友人と「語彙力って大事だよねぇ」という話題になりました。コロナ禍、仕事やPTA役員のやりとりなどを文字上で行うことが増え、ちょっとした言葉のニュアンスが伝わらなくて困ることが多い。たとえると、こちらが【A】という意味で使った言葉も、【A’】としてとらえられてしまう、なぜか小文字の【a】になってしまうこともある。いろいろな解決策はあるだろうが、ともかく「語彙力」はあるに越したことはないね、という結論に達しました。
そんな会話から、(提示された言葉の意味を反射で受け取るのではなく、深い部分まで考えたいな)と思っていたとき、偶然『苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しくなるのだ(心理学者:ウィリアム・ジェームズ)』という格言を読みました。
最初は【でも、不登校やいじめの問題では、「逃げる」というのも選択肢の一つとしてある。一概に「逃げるのはよくない」とは言えない】と思ったのですが、【あ、待てよ。場合分け。外部要因で、自分ではどうしようもならないときは「逃げる」。それは「逃げる」とは言わないのかも。 “自分との戦い”で何とかなりそうなときに「逃げるから苦しくなる」んじゃないかな】と、言葉に対するとらえ方を深めたときに、自分のなかで『納得』となりました。
そしてそこから、さらに「あっ」と気づいたこと。
長女が年少のとき。先生に「いま、ちょっと不安定ですね。愛情不足では?」といったことを言われました。(そんなことはないと思う)とそのときは納得がいかなかったのですが、いま改めて、先生から伝えられた言葉を深めて考えてみると―
【私は、愛情は不足していないと思っていたけれど、娘の愛情のコップが大きくて、私の与える愛情と釣り合っていなかったのかもしれない/あるいは、量の問題ではなく、質の問題だったのかもしれない(確かに忙しい時期で、子どもに時間を取られてはいたけれど、子どもとゆっくりした気持ちで過ごせてはいなかった?)】
ああ、だったら先生の「愛情不足」という言葉も納得だな、と4年越しにそのときの言葉を自分のなかに腹落ちさせることができました。提示された言葉の表面だけをとらえていたら見えてこなかった部分に隠れていた大切なことを見つけ出せた爽快感がありました。
人とのつながりのなかで、言葉のコミュニケーションは避けては通れない部分です。勉強のために「語彙力を増やさなくては!」と固く考えすぎず、笑いあふれる家庭づくりの一環としての豊かな語彙力。また、字面だけでは見えてこない言葉の深みにふれるための、豊かな語彙力。そういった視点で、子どものなかにある言葉の力も育んでいってあげたいと思います。
花まる学習会 勝谷里美
🌸著者|勝谷 里美
花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、3児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか