今回のコラムは「子どもを待つ」というテーマで書こう、と思ったときに、正直(子どもは親を待ってくれないのに、親は子どもを待たなくちゃいけないって、けっこう理不尽だな~)と思ってしまいました。子育てはそういうもの、と言ってしまえばそれまでですが、矛盾しているように感じる本質、子育てに限らず、世の中にはそういうものと向き合わないといけないことも多々ありますよね。
ある日、社内で「家でもできる思考力の教材、アプリが増えてきているなかで、あえて花まるの教室に通わせる意味は?」という話題になったときに、代表の高濱が「あー、親は、“待つ”ことに難しさを感じる場合が多い。手が止まっているときでも、頭をぐるぐる動かしていることを感じ取って待ってあげる空間が必要」と一言。
ぐさっ。親としては、とっても耳が痛い言葉でした……。
数年前になりますが、長男がまだ3、4歳ぐらいのとき、保育園の先生から「Aくん、そろそろヨーグルトのふたを自分で開けられるように練習したほうがいいですよ」と言われて、衝撃を受けたことを思い出しました。そもそも、私は、「子どもがヨーグルトのふたを自分で開けられていない」ことに気づいておらず、日々、朝のルーティーンの時短、効率化しか頭になく「これ開けて」と言われたら「はい、開けたよ! 早く食べて!」ということを毎日繰り返していました。
これは一例ですが、ほかにも、“親が無意識に子どもを待てていない”ことが、いまでも生活のなかに、勉強のなかにたくさんあって、その一つひとつは小さくても、じわじわと、“子どもの生きる力や考える力”を奪っていっているかもしれない。
そのことに気づいて以来、完璧にはできないまでも、少しずつではありますが、家庭でも「待つ」を意識するようにしています。
――宿題をしたくない、と泣きわめく子がいても、なだめるのではなく「待つ」
――姉と弟がけんかをしていたとしても、すぐに仲裁するのではなく「待つ」
――読解の問題で「なに、これ、わからない、答えを教えて」と言われても、すぐには教えずに「待つ」
など。
正直、自分のパワーが十二分にないと、この「待つ」時間はいったい何の修行だろう、と投げ出したくなることもたくさんあります。でも「子どもを待つ」ことの裏側にあるのは、きっと、「何があっても、あなたのことを信じているよ、味方だよ」という親からのメッセージ。「待つだけでは解決しないので導いたほうがいい場面」を見極めつつも、ここは待ってあげても大丈夫というときは、「待つ」ことを意識する。
ちなみに「待つ」修行がつらいときは、私はいろいろ小手先の技を駆使しながらやり過ごしています……。
◎片耳だけイヤホンをして好きな曲を流して心をそちらに傾ける
◎(前にもコラムで紹介しましたが)あえて、0.75倍速で動く自分を意識する。
◎勉強面で「待つ」必要があるときは、この事例をどう仕事のネタにするかを考える
などなど。心を冷静に保つために、どうやって、“自分と子どもを俯瞰してみる状態に持っていくか”がポイントな気がします。
――子どもは待ってくれないけれど、親は待ってあげるとよい――
なんとなく語呂がいいこのフレーズを忘れずに、せわしなくなりがちな子育ての毎日を、ゆっくりゆっくり過ごしていきたいと思います。
花まる学習会 勝谷里美
🌸著者|勝谷 里美
花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、3児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか