もうすぐ3歳の次女R。保育園の担任は、現在小学4年生の長女も担当してくれていた先生。
ある日、登園時に「昨日、Rちゃん、かわいかったんですよー。けっこう口答えするじゃないですか。だから、お姉ちゃんはそんなことしなかったよ。お姉ちゃんに言っちゃおうかな、と言ったら、やばい、という感じでしゅんっとして」と、ニコニコ笑顔で、クラスでの様子を教えてくれた。
これに対して「きょうだい比較をしてはいけない」という子育ての正論でとらえることもできるのだが、私はそれを聞いて、マイナスな感情はまったくなく、「あーやっぱり! 想像がつくなぁ。クラスでの様子を教えてもらえて嬉しい」という気持ちで、一緒に爆笑してしまった(末っ子R、本当に口答えが多いもので……)。
こういう仕事をしているからというのもあるが、「子育ては比べちゃいけない、比べちゃいけない」と、窮屈に考えすぎているかもという気づきがあった。
「比較はしない」が正論で、それは本質。ただ、「比較する」「比較しない」を両極においたときに、その間にはグラデーションがあってもいい。「比較しない」=まっしろのところに位置づけられるとしたら、「比較する」=真っ黒の、あいだのグラデーション。
「わが家の場合」ではあるが、この3歳という幼児の特性「忘れやすい」時期に、信頼をおいている先生から、からっと比較してもらうのも貴重な機会だなぁと思う。どんなに比較しない子育てを意識したところで、世の中に出たときに比較はあふれている。比較される経験だって、親にとっても子どもにとっても、とらえ方次第できっと肥やしにしていけるだろう。
同じ比較でも、からっと短く、いい意味で違いをおもしろがって楽観的に比較するのと、じめじめ長く悲観的に比較するのとでは全然違う。
「いい意味で違いをおもしろがる」の、「おもしろがる」もポイントだと思う。
ある日の自分の子育てメモに、「自分がまわりを(家族を)笑わせにいけているぐらいエネルギーに満ちていたら、たいていのことは大丈夫そう」と書いていた。「相手を笑わせる・楽しませる」というのは、最高の愛情表現の一つなのだと思う。
「おもしろがる」も、それに通じるものがありそうだ。
子どもと一緒になって、世の中を「おもしろがる」。子どもを観察して、その子ならではの個性を「おもしろがる」。不機嫌なわが子を目の前にしても、邪険にせず、「おもしろがって」笑わせにいく。
「そんなことできるか!!」というぐらいエネルギー不足の日々も、もちろんあるけれど。自分のエネルギーを充電することを大切にしながら、余力があるときは「おもしろがる」精神を忘れないようにしたいと思う。
花まる学習会 勝谷里美
🌸著者|勝谷 里美
花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、3児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか