【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑧】『みっつでひとつでしょ ―想像力は家庭でも―』小林 駿平 2024年12月

【花まるパパ社員のわが家の自由研究⑧】『みっつでひとつでしょ ―想像力は家庭でも―』小林 駿平 2024年12月

 自転車通勤の私。帰り道、家が近くなると、自然とわが家の部屋の明かりがついているかを確認します。大体、真っ暗な日が多いのですが、ときたま明かりがついていることも。……お! もしかしたら娘が起きているかも、なんて淡い期待を抱いて寝室をのぞくと、スースーと小さな寝息が。まあ、そうだよな、と腕時計に表示された時間を見つつ落胆し、妻が用意してくれたごはんをあたためなおしていただく日々が続きます。
 そんな生活に、最近ちょっとした変化が。鍵を開ける音がガチャガチャとしないように、足音を立てないように、細心の注意を払ってリビングを目指します。階段を上がるところまではいままで通りなのですが(それでも3日に1回は「もっと静かに!!」と助言をいただきます……)、階段を中段くらいまで上がると洗濯物の甘い香りが漂ってくるようになりました。洗濯物を干すのは私の仕事だったはず……。大量にあったはずだが、やってくれたのか? そんなことを思いながらリビングのドアを開けます。音を立てずにそ~っとカバンを置き、ごはんを温めなおそうとまたそ~っと電子レンジを開けようとしたそのとき。ガラ……ガラ……とゆっくり寝室のドアが開きます。妻です。「おかえり、遅かったね、ごはんあたためるよ」普段は娘と同じタイミングで寝ることの多い妻ですが、疲れもあるなか、わざわざむくっと起き、瞼を擦りながらフライパンの野菜炒めと鍋のなかの味噌汁をあたためなおしています。「今日は○○(娘)はどんな感じだった?」「今日も元気にニコニコ過ごしていたよ。あ、私にはなんか、ああでもない、こうでもないと文句も言っていたけどね~」なんて言いながら、一言二言、言葉を交わし、ほどなくして「……じゃあ疲れたから寝るね。寝るとき、電気消しておいてね。おやすみ~」とまた寝室に向かいます。

 洗濯物干しに、ごはんのあたため。一体何があったのだろう。これらは私の仕事だったはず。そういえば、もう一つちょっとした変化がありました。妙に娘が私のことを好きになってきたなと思うのです。「お父さん、大好き!」 「お父さん、遊びたい!」「お父さん、明日は何時に帰る?」「朝は一緒に保育園行ける?」最近は常にこんな調子です。8月に3歳を迎えた娘。ここにきて急に「お父さん大好きモード」に突入しました。それまでの娘といえば、着替え、髪の毛結び、トイレ、ごはんを食べるときのポジション、保育園の送迎、とにかくすべてにおいて「ママとじゃないといやだ」の一点張りでした。それがどうでしょう、徐々にではありますが、「お父さんとがいい」……いやそれは言い過ぎか、「お父さんでもいい」が増えてきたのです。
 これは何かあるな……。うす暗いリビングであたたかい野菜炒めと味噌汁をいただきながら、考え込む私でした。
 その翌日から出張のため4日ほど家を空けることになっていました。ちょうど私が帰宅する日から、今度は妻が娘を連れて2泊3日の出張が入っていたため、1週間家族に会わない期間が続くことになります。夏になると毎年サマースクールなどもあるため、このくらいの期間家を空けることはないわけではありません。今回も同じようなものだと特に深く考えてもいませんでしたが、事件が起きたのは私が家を離れて2日目の夜です。21時くらいでしょうか、出張先のホテルで一息ついていると妻からビデオ電話が。そこには泣きじゃくる娘の顔が映し出されていました。そして開口一番こう言ったのです。

 「も~!! おとうさん!! どこにいるの! みっつでひとつっていったでしょ! いないときはごめんなさいでしょ。いるときはありがとうでしょ! ね⁉ わかった?」
突然のことであまり真意がつかめなかったのですが、すかさず妻が翻訳をしてくれました。「○○(娘)が3人で1つでしょって。家族は離れちゃいけないでしょって。さっきからずっとこの調子だよ。最近、ずっと“お父さんはいいお父さんだよねキャンぺーン”実施中だったから余計に怒っているのかもね」
 
 すべての謎が解けた気持ちになりました。最近の妻の行動にはすべて意味があったのです。仕事から帰り、一通りの家事を終え、疲れている体にむちうって洗濯物を干してくれるのも、ごはんを作ってあたためなおしてくれるのも、娘が最近になってお父さん大好きモードになったのも、すべては妻の“みっつでひとつ”を体現するための行動だったのだろうと思い至りました。誰か一人を悪者にしない、きっと疲れているだろうからと他者に寄り添う。相手への想像力を膨らませた妻の想いと行動に頭が下がりました。
  
 改めて振り返ってみると、さまざまな変化に気づいていながら疲れを言い訳になかなか行動に移せない自分、ありがとうと目を見て伝えられていない自分に気づきます。“いないときはごめんなさい、いるときはありがとう”。娘の言葉が胸の奥深くに響きます。きっと妻に大事なことを教えてもらったのでしょう。恥ずかしながら、この歳になって私は妻と、そして3歳の娘に大事なことを教わりました。
 
 「相手を想像して毎日を生きる」。よくよく考えるとそれは、普段教室の子どもたちや自身のチームの社員に何度も伝えている言葉でした。人は独りでは生きていけない、誰かが足らないところを知らず知らずのうちに補ってくれている。そこに思いを馳せて、自分にできることを見つけて――。そうしてチームの信頼はできあがっていくものであると。

 自分の視野は外にしか向いていなかったのだと思い知りました。そんな想いをこのコラムでしか伝えられていないところが、私の課題ポイントだと痛感しています。痛感している場合ではないですね。今日そ~っと自宅に帰ったら、小さい声で「いつもありがとう」と伝えます。どちらかが、ではなくどちらもがお互いのことに少し想像をめぐらせるだけで、きっと何かが変わっていくと信じて。

花まる学習会 小林駿平

わが家の自由研究カテゴリの最新記事