三月の終わり、子どもたちの引率で雪国スクールに行ってきました。今回は貸し切り列車で行くコースです。上野を出発し、窓から見える景色を子どもたちと楽しみながら新潟に向かいました。
今年は桜が早く、東京ではすでに薄緑色の葉が混ざっていましたが、北上するにしたがい時計の針を戻すように満開に戻っていく桜の姿を見ることができました。川辺に咲く菜の花の色も、春を感じさせてくれます。「あ! N○○系だ!」とめずらしいと思われる車両に声を上げる子もいました。どの景色も子どもたちを楽しませてくれましたが、そのなかで子どもたちが最も食い入るように見ていたものがあります。鄙びた温泉街に佇む廃墟です。
かつて温泉街として栄えたその町には、すでに使用されなくなった旅館やホテルが何棟か廃墟として残されていました。全盛期には多くの人が集い、喜怒哀楽のさまざまな感情とともにあったであろう建物。やがてそこに誰もいなくなり、ゆっくりと自然に還っていく。諸行無常、栄枯盛衰。それを意味する言葉はあっても、現実の存在としてそれを体現している廃墟を見ると、大人の私も「得体の知れない」魅力に惹きつけられてしまいます。
東京に戻ると衝撃的なニュースが待っていました。坂本龍一さんの訃報です。数年前から闘病生活を送られていると聞いていたので、いずれその日はやってくるとは思っていましたが、いざその日を迎えると想像以上のショックを受けました。
坂本龍一さんは、私がものごころのついた頃にはすでに世界的な音楽家として大成されていました。「教授」と呼ばれバラエティ番組にも出演されていましたが、何がそんなにすごいのかわからない、私にとって「得体の知れない」人でもありました。
しかし、そんな私もついに坂本龍一さんのすごさを知る日がやってきます。ぼんやりとテレビのCMを見ていると、はっとするほど美しい音楽が流れてきたのです。その曲は、冒頭のわずか八小節のあいだに、複雑な感情が揺れているように聞こえました。それでいて子どもが寝返りをうつような優しいメロディーが包み込み、十五秒とは思えないほどの緊張感がありました。のちに「エナジー・フロー」と名付けられたその曲は、作曲者の予想に反し多くの人の心をつかみ、大ヒットしました。
それから私は、坂本龍一さんの音楽を意識的に聴くようになりましたが、簡単にすべてをつかめるような作曲家ではありませんでした。「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」のように誰にとっても聴きやすい音楽もあれば、つかみようのない現代音楽のような曲も多く、そういった意味ではいまでも私にとって「得体の知れない」音楽家であり続けています。
大岡信さんの『うたげと孤心』(岩波文庫)によれば、日本の文化を発展させてきたものに「うたげ」と「孤心」というものがあるそうです。「うたげ」とはみんなで楽しみを共有する場を意味します。現在では日本の伝統的な芸術とされている和歌も、その多くは「うたげ」の場で作られたものだと言います。一方で「うたげ」を離れ、独り自分自身の心と向き合う「孤心」を持つ人だけが瞠目すべき作品を残してきたと、その本には書かれています。
坂本龍一さんはその「うたげ」と「孤心」を一人で体現されてきた人のように思えます。YMOに代表される世界中の若者を熱狂させる音楽をつくる一方、自分自身の求めるものを自分自身のためにつくったとしか思えないような作品もあります。それらの音楽はとても一人の人間から生まれたものとは思えないほど多様なものでしたが、そのどれもが「坂本龍一」から生まれた音楽としか言いようのない一貫性も持っているように聴こえます。彼がこのような作品を生み続けることができたのは、誰よりも自分自身を疑い、音楽の力を疑い、自分の感覚に正直に向き合った人だったからではないかと私は思っています。残された言葉や、環境保護などの活動にも、簡単にものごとを決めつけない、深く考え続ける人の覚悟を感じるのです。
かつて人々が集まり賑わう「うたげ」の場だった廃墟。いまでは閑散としたその姿と向き合うとき、人は自分の「孤心」に向き合うことになります。すべてを理性で理解できると思ってしまいがちな現代人に「得体の知れない」感覚を呼び起こしてくれる存在でもあります。子どもたちも本能的にそれを察しているのでしょう。食い入るように廃墟を見つめる瞳の奥で、普段なかなかつかうことのない感情が動いているのを感じているのかもしれません。
花まる学習会 山崎隆
🌸著者|山崎隆
東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。