【タカラモノはここに⑧】『メロディーは覚えている』山崎隆 2022年12月

【タカラモノはここに⑧】『メロディーは覚えている』山崎隆 2022年12月

 数年前のサマースクールでの出来事です。年長の子どもたちを連れて外に出ると、青い空と緑の草原のいたるところにたくさんのトンボが飛び交う光景が広がっていました。トンボたちを追いかけながら、誰が作ったのか、かわいらしい歌を子どもたちが歌い始めます。
  ♪トンボまーつりー
  パチパチパチパチ 
  ♪トンボまーつりー
  パチパチパチパチ 
 人懐っこいメロディーで部屋に戻るときもみんなで歌いながら歩き、階段も「パチパチパチパチ」と手拍子をしてリズムよく上がっていきました。興味深いことが起きたのはそのあとです。歌いながらのぼった階段は、食堂やお風呂へ行くときに必ず通るのですが、子どもたちはそこを通るたびに思い出したように「トンボまつり」を歌い出すのです。場所と歌がつながって、一つの記憶として刻まれていたのでしょう。何年経っても忘れられない、子どもたちとの楽しい思い出です。

 あまりにも当たり前のことであるために見過ごしてしまいがちですが、人間は歌を覚えることができます。プロの歌手であれば何百曲、あるいは千曲以上覚えている人も少なくないでしょう。たとえ一曲の歌であってもテキストとして覚えるとなると相当な努力を要するはずですが、そこまでの苦労をすることなく、人は歌詞を覚えられます。メロディーが記憶することを助けてくれるのです。
 これは何かを覚えるときにおおいに役立ちます。たとえばかけ算の九九。これも歌のようなメロディーはなくとも、声に出して節をつけるだけで覚えやすくなります。低学年で扱っている古典教材の『たんぽぽ』も、ただテキストを見ているだけでは、なかなか覚えられません。声に出して、歌うようにして練習することで覚えられるようになるのです。

 歌は不思議なほど人の記憶に残ります。私にはメロディーというものが、人間のより根源的で深い記憶に関係しているものに思えてなりません。アノネ音楽教室の授業を見学したとき、心の底から驚いたことがあります。教材にあるヨーロッパの民謡の、子どもたちが歌うそのメロディーに、私の大好きなビートルズに近いものが感じられたからです。ビートルズといえばエルヴィス・プレスリーやボブ・ディランの影響がよく語られますが、実は彼らが子どもの頃に歌っていたであろう民謡の影響が想像以上に大きいことに気づいたのです。彼らもロックスターである前に、「ヨーロッパの子どもたち」だったと言えるかもしれません。
 一つの文化圏を超えて、人類に共通する感情を呼び起こすメロディーは存在するのでしょうか。アレックス・ロスという音楽評論家は『これを聴け』(みすず書房)のなかで、悲しみの音楽に共通するある音型の存在を指摘しています。「人々は泣くときに、ふつう下に滑るようなノイズを出し、そしてより高いピッチに跳躍し、また下に下がりはじめる。世界中の嘆きの音楽に似たようなことが見られるのも、驚くことではない。」そしてそれが「四度音程を下行する」音型だと言うのです。
 泣き声は言葉が生まれる前から存在していました。ある音型が言葉に頼らずとも、感情を伝達する力を持っていたとしても不思議ではありません。音楽は言葉になる前の感情に直接触れるからこそ、言葉では表せない感動を人に与えることができるのでしょう。
  
 現代は何をするにしても「データ」や「エビデンス」が必要だと言われます。確かにそれ自体は大切なものであるに違いありませんが「作られていないデータ」や「あがっていないエビデンス」が確実にあり、そのことへの想像力もまた必要なはずです。それらがすべて可視化されることなどあり得ない以上、直観も含めた人間という生き物への理解が大切になります。データやエビデンスから最適解を出すことならば、やがてAIができるようになるでしょう。人間の内面に直接触れることができる音楽は、それではとらえきれない人間という生き物への理解を助けてくれるはずです。
 古代ギリシャやローマの学校ではリベラルアーツとして幾何学や算術と並び、音楽も最重要科目とされてきました。「自由になるための学科」として音楽があったのは、「教養」としての意味だけではなかったのだろうと思っています。

花まる学習会 山崎隆


🌸著者|山崎隆

東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。

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