【タカラモノはここに⑩】『豊かな感情 小さな言葉』山崎隆 2023年2月

【タカラモノはここに⑩】『豊かな感情 小さな言葉』山崎隆 2023年2月

 空から降ってくるものはほんとにいい、
 しぐれも雹も雪もみんないい。
(『日本近代随筆選2 大地の声』岩波書店)

 空から舞い降りてくる雪を眺めていると、この幸田文さんの「雪」という随筆の一節を思い出します。2022年の終わり、雪国スクールで新潟県の湯沢を訪れました。サマースクールでもお世話になっている場所ですが、やはり冬の景色は格別です。灰色の空と音もなく降り注ぐ雪、遠くの白い山と葉を落とした黒い木々。カラスだけがこの静かな景色のなかを孤独に動いていました。
 水墨画のようなモノクロの世界に、カラフルな帽子やウェアを着た子どもたちが飛び込んでいきます。腰まである雪を泳ぐように踏み分け、雪をつかんでは投げ。リーダーとともに雪だるまづくりにも挑戦。大人の背丈と並ぶくらい、大きな雪だるまができました。一方では雪合戦を楽しむ子もいて、雪は大きくなったり小さくなったり、いろいろな形で子どもたちの遊び相手になってくれます。
 そんななか、雪の降る空を見上げる一人の子がいました。ふと目が合い、私はもう一つの雪の遊びを教えました。「ウェアに当たった雪の結晶を見てごらん」。ウェアの腕の部分を顔に近づけて見ると「あ!本当に見える!」と言って、ほかの子にそれを伝えにザクザクと雪のなかを歩いていきました。雪はミクロの世界でも人を楽しませてくれるのです。

 子どもたちが遊ぶ姿を遠目に見ている間にも、雪は降り続けています。そしてその間、幸田文さんの一文が、私のなかで何度も反芻されます。「ほんとにいい」。この言葉がまるで自分の言葉のようにスッと胸に馴染むのです。言葉としての解像度は低いでしょう。しかし「ほんとにいい」としか言いようのない感情そのものが伝わってくるように思えます。
 子どもたちの発する言葉にも同じような力を感じることがあります。
「〇〇ね、パパと公園に行ってきた!」
 授業前にいつも「パパと~した」ということを私に話してくれる子がいます。大人の会話であれば「で、何があったの?」と続くでしょう。しかしながら、子どもたちにこのように言われると、私はそれだけで嬉しいのです。「パパと公園に行った」という事実にともなう喜びの感情そのものが、この短いセリフから伝わってくるからです。細かい表現力を身につけるのはまた次の段階、現時点ではその豊かな感情そのものがこの子のなかに育っていることが嬉しく思えます。
 言葉というものが、どこまで感情を正しく表すことができるか。2022年末、連載終了から26年ぶりに映画化された漫画『SLAM DANK』の作者である井上雄彦さんは、作品を描くうえで「言語化」を避けてきたと言います。「直感だけを武器に、心身を差し出して描く。もし言語化してしまうと、その直感が失われてしまうのではないか。」(『THE FIRST SLAM DANK re:SOURCE』集英社)
 『SLAM DANK』は私も少年時代に何度も読み返してきた漫画です。その直感で表現されたものを、私も含む当時の少年少女はしっかりと受け取り感動を味わってきたと思います。あえて言語化すれば、それは「ほんとにいい」としか言いようがないものでした。そして、井上雄彦さんは共同作業が必要となる映画の制作にあたり、言語化に挑戦したと言います。「言語化すると一度自分から切り離されて、ここでやっていることはどういうことなのか、自身が納得するようになった(同上)」。言語化によって得られるものも確かにあるのです。
 豊かに育った感情に対して、それを表現するための大小さまざまな言葉があるのでしょう。そのなかでも小さい言葉は学習が必要なものだと私は思っています。そのためには文学などの作品に触れる意味は大きいと思っています。
 
 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の
 針やはらかに春雨のふる

 正岡子規の有名な短歌です。この歌は私たちに、雨に打たれる薔薇の芽に美しさがあることを教えてくれますが、それはそのような豊かな感情を私たちが持っていることを教えているとも言えます。繊細な言葉は、自分の持つ感情の豊かさに気づかせてくれるのです。自分の持つ豊かな感情を、ときには雪だるまのように大きく、ときには雪の結晶のように小さく繊細に表現することができれば、それはその人が「自分の言葉を持った」ということになるのかもしれません。

花まる学習会 山崎隆


🌸著者|山崎隆

東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。

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