【花まるコラム】『書き順ってどうしてあるの?』生駒春佳

【花まるコラム】『書き順ってどうしてあるの?』生駒春佳

 今月は、HIT(Hanamaru Intelligence Test)と花まる漢字テストを実施しました。90分間、子どもたちは「これで合っているかなあ…」と頭を抱えたり、「わかったぞ!」とひらめいたりしながら、問題を解いていました。点数に限らず、まずは一生懸命頑張った姿勢を教室で認めたいと思います。
 漢字テストが迫ったある日の高学年授業で、漢字練習の計画を自力で立てていた4年生Aくんが、「ねえ、〇〇先生、どうして書き順ってあるのかな?書き順を間違えたとしても、その字が書けていれば、よくない?」と言いました。この疑問は多くの子どもたちが抱いていると思いますが、言葉にして問われたのはこのときが初めてでした。「なぜ書き順があるのか」と問われたとき、「字をバランスよく書くため」という答えが真っ先に浮かびましたが、それは一般論であり、自分のなかで確立された答えではありませんでした。「確かに、よく考えてみると不思議だよねえ。先生もちゃんと考えてくるね」と返しました。

 それから思い返すと、私自身、小学生の頃に「どうして書き順があるのだろう」や「どうして書き順を守らなくてはいけないのだろう」と、疑問に思ったことがないことに気がつきました。その原因は、「書道」にあります。小学2年生のころに始めた書道。お手本の字には「①②③…」と、書き順が記されています。私にとっての「書き順」は、「間違わないように書く」というものではなく、「文字を美しく書くために当たり前に守るもの」でした。さらに、「書き順があることの大切さ」を、私なりに実感できた出来事があります。
 小学6年生の頃に、書道教室の作品づくりで、初めて短歌を書きました。短冊ほどの大きさの紙に書くため、小筆を使用します。それまで小筆を使うことといえば、自分の名前を書くときくらいでした。大筆と同じように書けば上手く書けると思っていましたが、まったくそんなことはなく、指や手首が少し揺れるだけで一緒に線も揺れてしまいました。「大筆と違って、こんなに難しいものなのか…」とかなり苦戦しました。そして、やっとの思いで書き上げた短歌。いま思えば、行書体で文章を書くのも初めてでした。それを、いまは亡き祖父に見てもらう機会がありました。祖父は書道をこよなく愛していました。たとえ孫の作品であろうと辛口にコメントをします。そのときに言われたことは、「みんな(文字が)バラバラの方を向いているなあ~」でした。それを聞いた私は、「字が向いている方向って何ぞや!おじいちゃんは文字に顔がついて見えるのかい!」と素直に受け止めきれませんでした。
 行書では、次の文字に向かうために、上の字と下の字に繋がりが生まれます。それを祖父は「見えない線」とよく言っていました。小学生の頃はその意味を理解することができませんでした。しかし、中学生になり改めて自分の作品を見てみると、おもしろいほどに字があちこち向いていることに気がつきました。「見えない線」がつながっていなかったのです。そのとき初めて、「書き順」はその字単体を「バランスよく書くため」だけにあるものではなく、「文章」になったときに、なるべく早く、美しく、流れるような線が書けるように考え抜かれてできたものなのだな、と実感しました。

 教室で書き順を間違えて書いている子に、「あ、この字はね、こうやって書くんだよ」と優しく伝えても、「あ、わかってたよ!」と言って少し恥ずかしそうに隠そうとしたり、無言で手を振り払われたりします。誰だって間違えるのはいやです。それを指摘されることも。その気持ちを尊重しつつ、こう書いた方が文章で書いたときに気持ちいいんだよ、字として美しいんだよ、ということを、1つの例として伝え続けていきたいと思います。

花まる学習会 生駒春佳(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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