2年生のHくん。元気はつらつとしていて「なぞぺー」(思考力教材)が大好きな子。そんな彼が花まるの授業で「嫌い」とはっきり言っている時間がありました。「作文」の時間です。作文は授業の冒頭に文章問題の「算数プリント」が終わったら書くという流れで取り組んでいるのですが、それを知っているHくんは少し遅れ気味に教室にやってきて、授業冒頭では算数プリントのみに取り組みます。そして授業終了間際、なぞぺーを必死にやり終えたあとで手をつけていなかった作文にいよいよ向き合わなければなりません。Hくんはうなだれます。そうこうしているうちに授業終了となります。すぐに帰ろうとするので、私は彼を引きとめました。「作文がまだ終わっていないよ」と。しかし Hくんは「帰る!」と表情を強張らせ、出口に向かって走っていきました。
そこからしばらく1対1のやり取りが始まります。私は、彼が頑なに「書かない」と言っている理由を知っています。Hくんは取り組み始めたら、絶対に適当にはせずにやり遂げる強い意志を持っていました。作文を書くときは、文章をサクサクと思い浮かべているわけではなく、一言一言吟味して言い回しを考えます。それゆえ、授業の終了時間になっても書き上げることができない。けれど、彼は自分がみんなより遅く教室を出ていくのがいやなのです。つまり、彼は作文そのものよりも居残りに苦手意識を抱いていました。そこで私は彼にこう伝えました。
「教室のなかで書かなくてもいいけれど、家に持って帰って書くのはなしね」
教室に居残ることがいやなら、それにこだわる必要はない。ただ、家に持って帰ると絶対に書かないというのも彼の様子から明らかでした。彼との折衷案を模索し続けます。私はお迎えに来ていたお母さんに、
「とにかく時間がかかることだけは許してください。何とか落としどころを見つけますので」
と、事情を説明します。最終的に彼が「車の中なら書く」と意向を示したので、そこに着地させることにしました。彼自身もここまでおおごとになるとは思っていなかったようで、折り合いのつけ方がわからなくなってしまったというのが真意のようです。一緒に解決方法を考えていき、ようやく彼自身も納得して書き上げる環境を見つけました。
Hくんの様子を表面的に捉えると、「作文が苦手な子」だと思えます。しかし、決して書くことが嫌いということではないのです。それとはまったく違う次元にある居残りはいやだという思いが「作文の時間がいや」「作文が嫌い」となっていました。そんなHくんに対して、周囲の大人が「あなたは作文が苦手だから 」と言葉をかけてしまえば、「僕は作文が苦手」と認識するのも無理はありません。
この一件のあと、Hくんは吹っ切れたのか、あるいは「いざとなれば車のなかで書こう」という拠りどころに助けられているのかわかりませんが、作文をいやがることはなく、むしろ書きたいと言うようにすらなりました。特に彼は漢字が好きで、「漢字作文」が大のお気に入り。辞書を片手に戦国武将の名前を書くなど、夢中になって言葉をアウトプットするようになりました。
9月からは1年生も作文に取り組み始めました。作文を楽しく書くためには、量にこだわらないということが重要な心構えです。伝えたいことがあふれてくると、自然に文章量も多くなります。また、作文を読むときには、よく書けたかどうかという評価ではなく、一つの芸術作品として見ていくことを私はおすすめしています。そのような感覚で見ると、子どもたちの鋭い観察眼と純粋な感情に心揺さぶられます。
さまざまな教室から寄せられる子どもたちの作文を読むのは、本当に幸せな時間です。実際に会ったことはなくても、文章を通してその情景がパッと思い描ける作品の数々。子どもたちの作品を読めば読むほど、子どもは「伝えたい」と思っているし、「書きたい」と思っていることがわかります。
花まる学習会 菅原忠(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。