【花まるコラム】『雪ふりつむ』梅崎隆義

【花まるコラム】『雪ふりつむ』梅崎隆義

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。


「雪」 三好達治  詩集『測量船』より

 年末年始は暖かく過ごしやすい日々で、ゆっくりできた方も多かったかと思います。暖冬とはこんな冬のことを言うのかと思いきや、先日突然降った雪には驚かされましたね。窓をふと見やると、外が白い!
 この詩と出合ったのは、高校の国語の時間でした。雪の日に2人の子どもの寝顔を眺める親の心を詠んだもの、と習った記憶があります。降りやまない雪がどれだけ積もるのか気になって2人の子どもは寝つけない。なんとか寝かしつけたあと、それぞれの夢のなかでは雪が降り積もっているのだろうな、と思いにふける親の心なのでしょうか。

 ところで、先日、新しい靴を買いました。いわゆるビジネスウォーキングシューズなるもので、スーツに合わせて履くことができ、長い距離を歩くのに向いている靴です。必ず替えの靴紐をいっしょに買うことにしているのですが、このときにはもうひとつ一緒に買ったものがありました。乾燥剤です。雨や雪で靴が濡れてしまったときに、家に帰ってから靴の中に入れておくタイプのもので、店員さんに勧められたわけでもなく、なぜだかこれは必要だとびびっと感じるものがあったのです。毎年、数十センチの積雪がある地域で育ったため、小学生の頃は雪が降っては外に出て雪遊びをしていました。不思議なことに、外に出ている間はそれほど寒さを感じないのですが、家に帰って着替えたらいきなり寒さを思い出すものでした。ファンヒーターの前で暖まりながら、目の前にシートを広げて、丸めた新聞紙をブーツに詰めて逆さまに置いておくことを必ずやっていました。新聞紙が湿らなくなるまで取り替えて乾かしていたのを覚えています。翌日も遊びに出ようとしたときにブーツのなかが濡れていては困るので、早く乾かしたいという気持ちでやっていたものでした。ああ、無意識にも乾燥剤に手が伸びたのは、子どもの頃のこういった経験が根元にあるのかもしれないな。そんなことも感じました。

 積もった雪の残る朝、果敢にも新品の靴で家を出ました。濡れても家で乾かす道具があるから大丈夫だと、どんと構えて職場まで歩いていると、さまざまおもしろい光景を目にしました。出勤する大人たちは雪の残る道を歩くのが、表現を選ばなければとても下手なのです。転ばないように、靴やズボンの裾が濡れないようにゆっくりおどおどと足を置く場所を選びながら歩いていきます。そして歩くのが下手な人ほど、不機嫌そうな顔をしています。どうしてこんなに歩きづらいのだと言わんばかり。ふと車道を挟んだ向こう側の歩道に目をやると、小学生が数人で登校する列を作っています。いつもとは違う様子の街を見ながら、わいわいきゃっきゃっと声をあげつつ、後ろ向きで歩いてみたり、誰にも踏まれていない部分を踏みしだいたりして満悦の表情を浮かべて通り過ぎていきます。どの子も雪の道を歩くのが上手でした。靴が濡れるのを気にせずに、雪のなかを歩くこと自体を楽しんでいるということかもしれません。学校が終わって家に帰ったら、あの靴はしっかり乾かすのだろうか、とも気になってしまいます。子どもと大人の境界線を一本引くとしたら、雪が降ったあとに楽しむか困るか、という線があるのだろうなと改めて感じた朝の光景でした。

 大人と子どもの違いに目をつけてみましたが、親からすればわが子はいつまでも子ども、という言葉の通りかもしれません。もしかしたら、先の詩の太郎と次郎という子どもたちはすでに大きくなった大人で独り立ちしているのかもしれません。こんなに寒い日は、親元を離れて生活する子どもたちの家にも雪が積もっているのだろうなあ、と。いつまで経っても心配する気持ちは、しんしんと降る雪と同じように積もるばかり、とも言えましょうか。雪の上を歩くのが上手な子どもたちを家で心配する人がいて、歩くのが下手な大人たちのことを離れたところで案ずる人がいる。雪に残った足跡はそんなことを物語ってもいるようでした。

 

スクールFC 梅崎隆義(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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