少し前の話になりますが、東京の今年の桜はちょうど入学式に重なるところも多かったようです。桜の木の下で写真を撮っているご家庭をいくつか見かけました。教室の前では、舞い落ちる桜を帽子の中に集めようとぴょんぴょん跳ねながら遊ぶ子どもたちの姿が見られました。本当に子どもたちは何でも遊びにしてしまうようです。
遊ぶ子どもたちの姿を見ていると、記憶にはなくても自分にもそんな時代があったのだろうと想像できます。はっきりとは覚えていなくても、舞い降りてきた桜が思わぬ風の流れで帽子の外に出てしまったり、上手に帽子の中に着地した花びらが、フェルト状の生地から取れにくくなったり…そんな細かいかけらのような記憶だけが妙に残っているものです。そんなことを思い出しながら、散っていく桜と子どもたちの姿を見ていると、「来年はどんな姿を見せてくれるのだろうか」とゆったりと流れていく時間を感じます。
日本という国に住んでいると桜の木に特別な思いを抱かずにはいられません。花の美しさもさることながら、その散り際に魅力があるからではないかと思っています。花の美しさは、桜に限らずどの花でも持っています。しかしこの出会いと別れの季節に満開になり、一斉に散っていく儚くも美しい姿は、なかなかほかの植物には見られません。舞い落ちる桜の美しさに、過ぎ去った日々やこれからの未来のことが思い起こされます。また翌年も同じ光景が繰り返されることも、私たちは無意識のうちに期待しているはずです。舞い落ちる桜の花が象徴するのは諸行無常であると同時に、繰り返される悠久の時間でもあります。自分がいなくなっても永遠にそこにあり、春はまたやってくるという安心感が、舞い落ちる桜にはあります。喪失と再生が桜にはあるのです。
繰り返されていく自然と比べると、人間のつくったものは儚いものです。
先日、用があって生まれた町の近くを通りました。上野と成田を結ぶ京成線。成田を出発して数駅目に宗吾参道という小さな駅があります。そこを通るときに思い出の場所が見えるはずでした。「酒々井ちびっこ天国」というレジャープールです。小さい頃、家族に何度も連れていってもらいました。私は電車の窓に寄りかかって、それが見えるのを待っていました。やがてそこを通過すると、その建物が見えました。しかし、その建物は薄暗く廃墟のように見えました。嫌な予感がし、すぐに調べてみるとその施設は数年前に休園していたことを知りました(事実上の閉園のようです)。
その瞬間、胸の真ん中をドンと撃ち抜かれたような喪失感に襲われました。永遠に存在すると思っていたわけではありませんが、終わりがくるということも想像していませんでした。そう思うと、いままで眠っていた記憶のかけらがつぎつぎと甦ってきました。真夏の太陽の下で賑わう人々の姿、ぬるい子ども用プールの水の感触、水に浸かった細い自分の足、流れていた竹内まりやの曲、焼けるように熱いプールサイド、そこに待つ若い日の母の姿、家族で食べたお弁当の味…。こんなにも覚えているのか、と自分でも驚くほど多くの思い出が、失われたことによって甦ってきたのです。同時に当時はわからなかったことも見えてきました。たまの休みに、子ども三人を連れて一緒に遊んでくれた父のこと。日焼けした背中で翌日仕事に向かうのは大変だったことでしょう。母もまた、朝早くから家族のお弁当を用意して、日中は熱いプールサイドで家族を見守ってくれました。目の離せない子どもたちを真夏の太陽の下で見続けるのは大変なことです。「こんなに楽しいのに、なんでお母さんはプールに入らないのかな?」と当時は思っているだけでしたが、いまならばわかります。
もう決して帰らない日々を思うのは、とても切ないものです。しかし同時に100%幸福だったと思える記憶があることが、いまの自分を支えていることも実感できたのです。毎年咲く桜とは違い、もう二度と再生されることのない日々。その喪失感はとても大きなものですが、何年経ってもその一瞬一瞬が残っているのです。二度と戻らぬものが気づかせてくれたこと、それがいまはただただありがたいです。
花まる学習会 山崎隆
🌸著者|山崎隆
東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。