【タカラモノはここに④】『わからない』山崎隆 2022年7月

【タカラモノはここに④】『わからない』山崎隆 2022年7月

 中学生の頃、ある日ラジオからこんな曲が流れてきました。

  夏が過ぎ 風あざみ
  誰のあこがれにさまよう


 美しい曲だな、と思いました。言わずと知れた井上陽水さんの『少年時代』です。その頃は知らない言葉を歌詞から覚えることが多い時期でした。「風あざみ」という言葉を調べたのですが、辞書には載っていませんでした。結局わからないままでしたが、何となく夏の終わりのさみしさが伝わってくる言葉だなと思いました。
 実はこの「風あざみ」という言葉は井上陽水さんの造語だったのです。それを知ったのは、十年以上も後のこと。新しい言葉を紡ぎ出し、万人にその情緒を伝えてしまう井上陽水さんは、まるで万葉時代の歌人のようだと思いました。

 「わからない」ということに関して、先日おもしろい光景を見ました。私のクラスに在籍している一年生のAくん。彼はいつもニコニコと楽しそうに授業を受けています。ある日、そのAくんからこのような声が聞こえました。「えー、これわからないなー」。思考力教材の『なぞぺー』を解いているときのことでした。しかしAくん、そんなときでもいつも通りのニコニコの笑顔です。笑顔のまま「わからないなー」と言いながら、背中を丸めたり伸ばしたりして、目の前の問題を粘り強く考え抜いているのです。
 そんなAくんを見ていて、気がつきました。人間には本来「わからない」ことを楽しむ力があるのでしょう。「わからない」から「わかりたい」、その不安定なプロセス自体が人間にとって楽しいものなのです。「どうしてわからないのか?」と問い詰められることがなければ、子どもたちはずっとその状態を楽しんで考え続けることができるはずです。

 とは言え、「わからない」ことでストレスを感じることがあるのも事実です。時間など、状況に追われる環境にあるときにストレスを感じるのは当然ですが、そうでなくても「わからない」不安定な状態を苦痛と感じることは誰にでもあります。仕事のこと、家庭のこと、友人のこと、社会のこと…人生には「わからない」問題が常に付きまといます。
 こういった「どうにも答えの出ない、どうにも対処のしようがない事態」に耐える能力として「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念があることを最近知りました。作家で精神科医でもある帚木蓬生さんは『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版)の中で、このように書いています。
「私たちは『能力』と言えば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。…ネガティブ・ケイパビリティはその裏返しの能力です。論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。」
 昨今の社会状況に鑑みてもそれは言えます。容易に答えが出せず、個々人によって考えが変わる問題を突きつけられながら私たちは生きています。答えなど無いなかで考え、それに耐え抜く力が、生きていくうえでは必要とされているのです。それはいまに限ったことではなく、過去も大きく変わりませんでした。古典を読めばわかります。『百人一首』でも『方丈記』でもいまと変わらぬ、生きることへの苦しみを読み取ることができます。子どもたちが教室で読んでいる古典が、大人になったときの悩みに耐える力の根拠になっていくことでしょう。

 誰にでもあるイヤな思い出。最近では「黒歴史」として封印してしまうこともあるようですが、その苦味もまた、成長には不可欠です。夏休みはその貴重な経験の場を提供してくれます。普段できないことや、日常では会えない人たちと、良い思い出も苦い思い出も、たくさんつくることができます。

  夏祭り 宵かがり
  胸のたかなりに合わせて
  八月は夢花火 私の心は夏模様


 『少年時代』は続きます。「わからない」ことへの期待と不安、この歌詞を聞くと少年時代のドキドキとした感覚がほのかに甦ってきます。そんなたくさんの「わからない」経験がこの夏もきっとあることでしょう。夏休みが始まります。

花まる学習会 山崎隆


🌸著者|山崎隆

東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。

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