【タカラモノはここに①】『虹の七色の間に』山崎隆 2022年4月

【タカラモノはここに①】『虹の七色の間に』山崎隆 2022年4月

 年長の思考実験で「ぶんぶんゴマ」というものを扱います。円形の厚紙に糸を通し、両側からそれを引っ張るとグルグルと回転するという昔ながらの遊びです。その片面に上半分は青、下半分は赤できれいに塗り分け回転させると、別の色が浮かび上がってきます。言うまでもありませんが、紫が見えてくるのです。しかしこれも多くの子どもたちにとっては初めての経験。「どうなると思う?」と言って回させてみると、このような声が上がってきました。「あ、黄緑が見える!」
 驚いてのぞきこんでみると、確かに黄緑っぽい線が浮かんでいたのです。それどころか黄色、ピンクなどたくさんの色が浮かんで見えました。ちょっとした筆圧の違いや塗り加減によって、大人が予測した以外の色がたくさん見えてくるのです。

 色という現象は本当におもしろいもので、子どもたちの視点に合わせて世界をのぞきこんでみると、いかに自分が「ありのままに」ものごとを見ていないのかがわかります。学生時代に受けた、いまでも忘れられない授業があります。興味本位で選んだ講義でソシュールの言語学が扱われたのです。私は言語学に触れるのは初めてでした。その後も言語学を深く学ぶには至らなかったので、あるいは間違った解釈なのかもしれません。そもそもソシュールが本当にそのようなことを言っているのか、先生の解釈に過ぎないのか、私が勘違いして理解したのか、それさえも定かではないのですが、私の脳に強く作用する内容でした。
 虹の色は日本では「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色とされています。しかし文化が変われば見える色の数が変わるというのです。つまるところ、言語が持つ色の言葉の数によって、見える色が変わってくるのです。虹の色の間にいくつ色の名前を持っているかによって、五つに見えるところもあれば二色に見えるところもあるという話でした。
 そんなことあるはずがない。最初にその話を聞いたとき、私はそう思いました。確かに言葉によって色は区切られるだろうが、その中間にある色は見えているはずだと考えたのです。
 同じ頃、ラジオからは当時のヒット曲が流れてきました。

 二車線の国道を またぐように架かる虹を
 自分のものにしようとして カメラ向けた
 光っていて大きくて 透けてる三色の虹に
 ピントが上手く合わずに やがて虹は消えた
            Mr.children「蘇生」

 同じ日本でも、Mr.childrenの桜井和寿さんは虹を「三色」と歌っていました。私はそのとき、ハッとしました。そもそも日本人だからと言って虹が七色に見えているわけではないことに気づいたのです。それ以前に、私は虹の色を正確に見ようとさえしていなかったのかもしれません。虹が七色に見えるというのは思い込みで、日本であってもかなり好条件がそろっていなければ見ることはできません。ものごとを素直に「ありのままに」見る目を、この歌は教えてくれました。
 それ以来、虹が出るたびに今日の虹は何色に見えるかをじっくり見るようになりました。それによってわかったことがあります。確かに名前の無い色は言い当てることができません。しかし、名前が無くともそこに色は存在しているのです。目を凝らせば認識することは可能です。見えていないのは、見る側の問題なのです。
 子どもたちの能力や可能性も、この虹の色と同じようなものかもしれません。点数として評価される能力は名前を持つ色と同じように、誰の目から見てもはっきりとわかるので評価されるものです。しかし名前を持たない能力は、評価されるものとして認識されないのです。本当はその名前の無い能力こそが、その子にとって最も重要な能力かもしれないにもかかわらず。「君は赤が弱い」「青が苦手だ」。そうかもしれません。しかしその子の持つ大事な色を、大人が見えていないだけなのかもしれないのです。
 教室に立つといろいろな色が見えてきます。その中には、まだ名前も無く認識もされていない色が無数にあるはずです。そんな色に光を当てることができたら、こんなに嬉しいことはありません。

花まる学習会 山崎隆


🌸著者|山崎隆

東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。

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