【花まるリビング⑦】『作文は、日々の感性の切り取り』勝谷里美 2021年11月

【花まるリビング⑦】『作文は、日々の感性の切り取り』勝谷里美 2021年11月

 1年生の娘は、「花まるオンライン」を受講しています。8月の終わりから作文を書き始めるということで(どんな作文を書くのかなぁ)(家の外では慎重派、人の顔色をうかがうタイプだから、最初は全然書けないかもなぁ)(いや、本は好きだから、意外と独創的な作文を書くかも…)など、「長子ならではの親の欲目と願望と不安」が入り混じったような気持ちでした。
 さて、実際に作文がスタートしてみて…。何というか、やはり子育てはまったく親の予想通りにはいかないもので、娘の作文は、「豪快に間違う」「“普通”の作文」でした。
たとえば…
【プールへいきました。おとうとはうきわでうかんでました。・・・わたしすこしだけおよげました。・・・てをひっぱってもらったりしまた。すこしだけもぐれまた。】【たのしかた。】【ほんばんは ぽんぽ(ん)をもちます】
 「は」と「わ」の間違いや、小さい「っ」がぬけてしまうのはあるあるだな~と思いつつ、「うききわ」「ぽんぽ」「まいた」などは、おー、勢いで書いたなぁ!とびっくり…。振り返らない、やり直しを嫌う、幼児の特性を見事に反映していました。
 ただ、実際に娘が書いた作文を読んでみて、母親になる前には見えてこなかった「親視点だからこその発見」もありました。それは、日常生活と照らし合わせて読むと、文章の裏側にこめられた、「“書かれていない子どもの想い”に気づける」という部分です。
たとえば…
【としょかんへいった。とてもおもしろそうなほんが やまほどあった。】
という何気ない一文。これには背景があります。
 ーーコロナで市の図書館の休館期間があり、それがあけて、久しぶりの開館日。たまたま学校の創立記念日と重なったこともあり、平日に図書館に連れて行ったのですが…そこには、いつもなら大人気で借りられていてほとんど本棚にない『かいけつゾロリ』や『忍たま乱太郎』のシリーズがズラリと並んでいる風景が…!「こんなにある~~‼」とテンションがあがった気持ちが、作文の「ほんが やまほどあった」という一言の裏に隠れているのでしょう。
 また、夏に花まるのサマースクールに参加した想い出を書いた作文。「~しました。~でした。~しました。……」という出来事を、淡々と書いている内容で、最後が、
【ねぶくろのいろはくろとちゃいろで なかがむらさきで むらさ(き)のほうをおもてにしてねました。】
で終わっています。(いやいや、もっと、大自然で感じたことや、お友達との会話も、書いてほしい…!)と欲張りな想いを抱いてしまうのですが…よくよく、サマースクールから帰ってきて娘が話していたことを思い出してみると、この一文にこめられた背景も見えてきます。
 ーー1年生で初参加の野外体験。班の友達、お姉さんたちとの「きゃっきゃっ」した触れ合いがとても楽しかったようで、「寝袋は、紫の色にした方が“ばえる”でしょ~って教えてもらったんだよー。ママ、“ばえる”って知ってる?」とドヤ顔で教えてくれました。そのとき心揺さぶられた、驚き、楽しさ、嬉しさが、根底にあったからこそ、作文の最後に「寝袋の紫を表にして寝たこと」を書かずにはいられなかったのだと思います。

 「~でした」「~ました」「楽しかったです」で終わる作文は、いわゆる“普通” “ありきたり”と評される作文かもしれませんが、日常生活の中で、あえて、その一部分を子どもが切り取って書き残した、というところがとても大切で、そこには、子どもの視点から見たときの“世界の驚き”がかくされているのだと思います。
 花まるの作文は、まずは「呼吸をするように書く」を目標にしています。そう考えると、娘の豪快な間違いも、「人からどう思われるか」を気にせず、一気に集中して書いているからこそ…と、信じて。(添削はすべて、花まるオンラインの先生にお任せしています。)
 これからも作文を通じて、娘の目には世の中がどう見えているのか、日々の記録、スケッチを私も感じていけたら…と思っています。

花まる学習会 勝谷里美


著者|勝谷 里美 勝谷里美 花まる学習会の教室長を担当しながら、花まる学習会や公立小学校向けの教材開発や、書籍出版に携わる。現在は、2児の母として子育てに奮闘中。著書に『東大脳ドリルこくご伝える力編』『東大脳ドリルかんじ初級』『東大脳ドリルさんすう初級』(学研プラス)ほか

花まる教室長の子育て奮闘記カテゴリの最新記事