これまで私が見てきた教え子のなかで、いわゆる「学力が高い」と感じる子の多くは、本を読むことが苦になっていませんでした。なかには、3~4年生の段階で、エンデやケストナー、ヴェルヌなど名だたる古典を読み漁り、有名私立中学受験を難なく突破したような強者もいます。
さらに、読書と一般的な学校での学力、成績との関連性を扱った研究も多くあります。欧米でベストセラーになった『読書はパワー』には、文法事項や語彙、綴りを指導する「直接的な言語指導」では明確な効果が見られないのに対し、読書をさせるだけで子どもたちが楽しみながらさまざまな学力を多面的に伸ばすことができることを裏付ける研究が多く紹介されています。
日本でも、「普段から本に多く触れて、読書を好んでいる子どもほど学力が高い」という、大まかな傾向が導き出された研究は多くあります。そんなものを目にすると、「やっぱり本を読ませれば成績は上がるんじゃないの?」とも思えてきます。果たして、どうなのでしょうか。
ここで、1971年ニュージーランドに生まれた、クシュラという一人の女の子の事例を紹介します。
クシュラは、染色体の異常によって重い障がいを持って生まれてきました。生まれつき指が両手とも一本多く、心臓には小さな穴があり、自分の力だけでは立つこともできず、日々感染症に悩まされていました。生まれながらにして重いハンディキャップを背負ったクシュラでしたが、彼女の両親は愛情を持って育て続けました。
クシュラが4か月のとき、初めて絵本を見せ、時間の許す限り読み聞かせを続けました。以来、絵本はクシュラの成長にとって大きな意味を持つようになります。実際に自分の体で体験できることは非常に限られていたクシュラでしたが、絵本を通して無限に広がる世界を体験していたと言えます。全神経を集中させて本の世界に入り込み、ときには手を叩いて喜ぶクシュラはメキメキと言語能力を伸ばしていき、17か月のときに受けた発達検査では、心理学者が「ほかの低い得点と矛盾する」とコメントするほどの高い結果を出しました。
クシュラは3歳までの間に140冊を読破。さらに3歳8か月のときの知能検査では、標準以上の成績を出しました。生後すぐには重度の精神遅滞と診断されていた子どもが、絵本によって標準レベルをしのぐほどの言葉の力を得たという、一つのケースです。
ここで大切なのは、その両親は、自分たちの子どもの知的能力を高めるために本を読ませるということは、一切しなかったということです。治療や学習のためではなく、あくまで大切な子どもに豊かな時間を与え、ともに幸福感を味わおうとしただけです。そして、その結果として多くのことを得たのです。
ここから導き出されるものはただ一つ。すなわち、子どもはあくまで「楽しさ」を根底に据えてこそ、結果的に学びとなるものが多くなるということなのです。
先に挙げたさまざまな研究でも、学力という言葉は、学校での成績など、非常に限定された意味でしか扱われていません。
そもそも読書で身につくものは、もっと幅広くて奥深いもののはずですし、また結果として成績と結びつくような力も、「成績を上げるため」の手段としての読書では得られないのです。楽しさが非常に重要な時期である子どもは、「ためになる本を無理強いされていること」を直感的に見抜きます。
さらに幼児期に本を使っていくら言葉の学習をさせたとしても、小学校生活が始まって9か月ほど経つと、そのような個人差や性差はほぼ無くなってくるという研究結果もあります。本を教具として使って焦って学習させようとしても、実際のところは期待通りの効果は得られないのです。
読書は何かの「手段」ではなく、それ自体が「目的」。ぜひ本の世界を通して、子どもと一緒になってひたすら楽しむことに徹してみてください。
スクールFC 平沼純