二人兄弟の次男である私には、4歳上の兄がいます。
兄は頭良し、運動神経良し、おまけに顔も良しのオールマイティタイプで、小さい頃から憧れの存在でした。
何をするにも兄のうしろにくっついて回り、大好きなプラモデルを買ってもらっても、手先が器用な兄に渡して作ってもらう。
その様子を横に座ってじっと眺めているのが私でした。
「この人に出来ないことってないんじゃないか」と、当時は真剣に思っていました。
時は流れ、高校、大学と進学校に進んだ兄の背中を追いかけていた私は、ことごとく受験に失敗。
この頃から、憧れだった兄の存在が次第に疎ましいものに変化していきました。
思えば、私の人生において、兄の選択や決断は大きな情報源でした。
それは、自身で取得するかどうかを選択できるような情報ではなく無意識に流入してくる、避けては通れない類の情報であり、いつの間にか私は兄が経験したことを自分も経験しているような錯覚に陥っていたのでした。
しかし、当たり前のことですが「聞いて知っていること」と「実際にやってみること」では、経験値の次元が全く違います。
これは、次子(二番目の子)にありがちな傾向で、情報〉経験になってしまうのです。
「自分は兄以上になれない」
そんな思いから脱却できたのは社会人になってからでした。
一社会人として、兄とは全く異なるフィールドで働くようになってから、「自分は自分の道を進んでいけばいいんだ」と思えるようになりました。
こうして自分の人生を振り返ってみると、「上手くいかなかった経験」が、数多くあることがわかります。
それらは「失敗体験」と呼ばれることがありますが、本当に「失敗」なのでしょうか。
たしかに高校受験も大学受験も、結果だけで言うと第一志望校に行けませんでした。
しかし、その経験があったからこそ自分の人生と向き合い、自分らしい生き方を真剣に考えるようになったのです。
人生の糧になったと今では思えますし、子どもたちに語れる大切な事例でもあります。
では、本当の意味での「失敗」とは何でしょうか。
私は「挑戦をやめてしまうこと」ではないかと考えます。
上手くいかなかった、次はどうしよう。
そう考えて行動すれば、「失敗体験」ではなく「成功の一歩手前体験」なのです。
大人になると大抵の物事が円滑に進むようになるのは、多くの「上手くいかなかった経験」を反省し改善してきたからです。
子どもたちは、今まさに「成功の一歩手前体験」をたくさん経験しているところ。
その経験が人生の糧となるまでには、私のように長い時間がかかるかもしれません。
それでも、周囲の大人は彼らが経験したことを肯定し、挑戦をやめないように後押しし続ける存在でありたいと思います。
そのためにおすすめしたいのは、「対処の仕方を具体的に教えること」です。
ある年長男子Tくんの話です。
牛乳を自分でコップに注いで食卓まで運ぼうとしたときに、手元がぶれて牛乳をこぼしてしまいました。
それを見たお母さんは「タオルを持っておいで。こぼれたら拭くんだよ」と伝えて、もう一度Tくんに牛乳が入ったコップを運ばせました。
他方、お父さんはTくんに対して「牛乳がこぼれないよう配慮しなさい」とだけ声をかけました。
どちらの声かけがTくんの挑戦の後押しになるかはもうおわかりだと思います。
「成功か失敗」という二択ではなく、「成功かその一歩手前」という二択で物事を捉えられるようになることで、挑戦して得られる経験の幅が間違いなく広がります。
その手助けや後押しができる身近な存在として、これからも子どもたちに寄り添い続けていきます。
花まる学習会 鈴木 和明
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。