今どうしてる?卒業生物語 【No.36】飯嶋帆乃花さん

今どうしてる?卒業生物語 【No.36】飯嶋帆乃花さん

花まる学習会・スクールFC卒業生のその後に迫ります。
第36弾は、類まれなる行動力で道を拓き続ける、伝説の卒業生にインタビュー!

ようこそ先輩!  飯嶋帆乃花さん
【花まる学習会】小2~小6
【スクールFC・西郡学習道場】小3〜中3
*担当教室長:高濱正伸、高橋大輔、日下部龍、西郡文啓、川島慶、佐々木慧、井本陽久 ほか
【進路】学校法人 南山学園 南山中学校/公立中学校→Aiglon College→旭川医科大学
【現在】大学生(医学部)

  


高濱 帆乃花は出会いからすごいんだよな。
飯嶋 小学1年生の終わり頃に父が新聞で高濱先生の特集記事を見つけ、両親が「メシが食える大人に育てる」「もめごとはこやし」「外遊びが大事」というワードに感銘を受けました。母がすぐに電話で問い合わせたのですが、当時はまだ地元の名古屋に教室はなく、「遠方から通うのは大変だから、通う時間を外遊びにあててください」と断られてしまいました。直感タイプの母は諦めずに高濱先生の講演会の開催情報を調べて東大での講演会に参加し、そこで高濱先生に直談判したんです。
高濱 はるばる名古屋から来て口説いてくれたこと、覚えているよ。そのまま神奈川の教室を紹介して、新幹線で教室に通う日々が始まったんだよね。
飯嶋 体験授業に参加して、楽しそうな私の姿を見た両親が「毎週の授業に通うことは難しいけれど、野外体験にだけは参加させたい」と入塾させてくれました。私が「楽しいから今週も行きたい」と毎回お願いして連れて行ってもらううちに、毎週通うようになりました。最終的には一人で新幹線に乗ることもありましたね(笑)
高濱 なかなかできることではないよね。そういう行動力があるご家庭で育った子はみんな大活躍しているんだよ。
飯嶋 少しくらい遠くても移動が苦でないのは、この経験のおかげかもしれません。
高濱 4年生くらいのときに、駅のホームで見知らぬお母さんが幼い子の手を離してしまって危ないところを帆乃花が助けたエピソードもあったね。お礼を伝えたお母さんに帆乃花が「危ないのでホームで子どもの手を離してはダメですよ」と伝えたんだっけ。
飯嶋 はい。駅員さんに表彰したいと声をかけていただいたのですが、「特算の授業があるので」と恐縮ながらお断りして教室へ向かいました。
高濱 授業を選んだんだという(笑) 帆乃花らしいね。

■花まるの思い出
飯嶋 どの授業も本当に楽しかったです! 道場の生徒として参加させていただいた勉強合宿も本当に楽しくて。
高濱 勉強合宿、本気で没頭できて最高なんだよな。特算を受けていたということは、FCにも通っていたよね。
飯嶋 小学3年生のときに、花まるとアルゴに加えてFC(当時の小3Jコース)にも通いたいとご相談しました。当時は一日に三つのコースを選択することはできなかったし全部は大変だからと止められたのですが、これも母が直談判して。翌年からは公式に一日に三つのコースを選べるようになりましたよね。
高濱 社員も思いついていなかった通塾方法を開拓したんだよ。
飯嶋 4年生からは道場にも通わせていただき、金曜日はFCの特算・特国、土曜日は花まる・アルゴ・FC単科、日曜日は道場へ通う日々でした。
高濱 さらに北相木村での山村留学に行きたいという話も出て、名古屋から東京に来ているのだからもう十分、と止めたんだよな(笑)
飯嶋 5年生でスーパー算数の授業を受けることになったときは、月曜日の放課後に新幹線で教室へ行き、夜行バスで帰って翌日も学校へ……という生活を続けました。5年生の最後の授業が終わったときは、母が「よく頑張ったね」と言ってくれ一緒に号泣しました。母も毎回付き添ってくれていたので、本当に大変だったと思います。
高濱 この行動力ですよ。親子で本当にすごいんだよな。
飯嶋 サマースクールも思い出深いです。キャンプファイヤーと、夜にみんなで集まって輪になって歌ったことが特に印象に残っています。
高濱 やっぱり歌は思い出に残るよなぁ。
飯嶋 川で泳いだことも、みんなでかけっこをしたことも、沖縄のコースでシーサーを作ったりしたことも……一つひとつが大切な思い出です。

■学生時代とこれからのこと
高濱 帆乃花はサマースクールで宮城県石巻市のMORIUMIUS(モリウミアス)にも行ったし、海外への行動力もすごいんだよな。
飯嶋 初めて海外へ行ったのは、小学4年生のときです。ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術をおこなった病院として有名なベトナムのツーズー病院の特集を見て、どうしても現地に行きたいと思いました。一人で旅行会社に行って相談してみたのですが、小学生だからと断られてしまい、行きたい理由などを書き出してまとめて両親に相談しました。すると両親がベトナムに住んでいる友人に受け入れをお願いしてくれ、スケジュール管理などをすべて自分でおこなって行きました。
高濱 道を拓いちゃうんだよな。サマースクールでカンボジアにも行ったね。
飯嶋 中学生時代に3回行かせていただきました。全部楽しかったです!
高濱 それ以外にも発展途上国の支援で何度も行って、水道工事を手伝いに行ったこともあるんだよね。
飯嶋 中学時代に、サマースクールと合わせて合計7~8回行きました。チョンボック村の上流にあるダムが決壊したときには、インフラ修復の支援に参加させていただきました。
高濱 記念碑に帆乃花の名前が載っているんだよ。
飯嶋 支援者として、高濱先生や川島先生とともに記載してくださっています。
高濱 それで終わらないところも帆乃花らしいところで。
飯嶋 高校時代に、エイグロン・カレッジ校でスイス留学をしました。ヤフーの元代表取締役社長CEO 小澤隆生氏の息子さんがスイス留学をしているという記事を、当時FCで教わっていた川島先生が紹介してくださって、それを読んだ母がスイスのボーディングスクールを調べたのがきっかけでした。本当にたくさんの体験をさせていただいて、なかでも異国の人とアイスクライミングやロッククライミングに挑戦できたことが自信になり、大抵のことは乗り越えられるようになりました。
高濱 体験のレベルが違うよな。多文化・異文化に触れてどうだった?
飯嶋 授業で討論することも多かったのですが、自分の意見はもちろん、日本について問われても語ることができない自身の語彙や知識のなさに直面しました。私は宗教に疎かったので、それぞれが大切にしている考え方があるなかで意見を交わす際の圧倒的な勉強不足も痛感しました。
高濱 知識だけでなく、哲学できているかどうかが問われるからね。いや~、鍛えてもらえたね。エイグロン・カレッジ校を卒業後は?
飯嶋 恵まれない国の人たちの笑顔を増やすための手段のひとつとして医師免許を取得したく、ヨーロッパの大学へ進学する道もありましたが、日本で取る道を探しました。
高濱 日本で挑戦するにはもう一度高校に通うくらいの学び直しが必要だから……。
飯嶋 学び直しました!(笑) 2浪する覚悟で臨みましたがうまくいかず、3浪になっても家族に応援し続けてもらえたおかげで合格を勝ち取ることができました。年の離れた兄は私ほど自由にやらせてもらっていなかったと思うのですが、浪人中に「帆乃花は大丈夫なのか」と心配してくれたり、「誰を尊敬しているかと聞かれたら迷わず自分の妹だと答える」と言ってくれたりしていたことを知って、本当に嬉しかったです。
高濱 ご家族の無償の愛も、応援してもらえる帆乃花も、本当にすごいんだよ。
飯嶋 いつも、まずはいちばんの理解者の母に相談し、慎重派の父が心配しないように安全な方法を探してから父に相談しました。ときには航空チケットをとってから相談したこともあります。わが家ではこのバランスがいい結果となっていたと思います。おかげで‟即行動”の精神が身につきました。
高濱 なるほど。ご両親のおかげで行動力も安全性も保たれていたんだね。これからはどうしたいの?
飯嶋 日本で研鑽を積んで、日本でも海外でも活躍できる、中村哲氏のような医師になりたいです。
高濱 これまでのすべての経験を活かしていい選択をしていくんだろうな。世界が待っているね。これからも楽しみだよ。応援しています!
飯嶋 ありがとうございます!

  

 

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