私は本屋が好きです。興味のありそうな本を探し、たくさんの本を手にしては、どれを購入しようか吟味します。だけれども、結局選べずに店を出ることがほとんど。つまり、私は自分で本を選ぶことができないということに、最近気がついたのです。これまでの人生において、人並みに本には触れてきていると思いますが、決して多いほうではないでしょう。母に与えられた本、友人に薦められた本、学校の読書感想文の本、社会人になり必要となった本…思えばどれも自ら好んで選んでいるものではありません。押しつけられているイメージはないですが、自分で選択しているわけでもないのです。人に与えられて読書をする人生を歩んできたのかと、いまになってハッとしています。だから私は、自分の本の好みを聞かれても考え込んでしまうし、どう選んだらいいのかもわからずに帰ることになっていたのかと、自分を知って腑に落ちました。
以前に担当していた、当時年長のNちゃんの話です。思考力問題で、隣の部屋が同じ色にならないように4色で塗り分ける問題がありました。「好きな4色を選んでいいですよ」と伝えると、大半の子が自分のお気に入りの4色を手にすることができます。しかしNちゃんは、私に言うのです。
「先生、自分の好きな色って何色?」
「先生はね、黄色が好きだよ」
「違う、Nの好きな色は何色?」
私の好きな色を聞かれているのだと思ったので会話を続けていたら、Nちゃんが怒り出したのです。
「もう、違う! Nの4色がどれかって聞いているの!」
自分の好きな色がわからず、4色を選ぶことができなくて困っていたのです。このときは、Nちゃんの持ち物で使われている色から「これどう?」と私が提案することで、納得していたようでした。
Nちゃんのお母さんに話を聞く機会がありました。そこで、Nちゃんが4色選ぶことができなかった事実をお伝えすると、私と同様に驚かれていました。そしてお母さんが、これまでのことを振り返っていろいろと教えてくださいました。
まずNちゃんは、毎日の着る服を自分で選んでいないこと。おしゃれ好きのお母さんが、その日の服や髪飾りなど決めていたのです。「この服、あなたにとても似合っているからこれがいいよ!」と。大好きなお母さんがそう言うのだから、それが一番良いに決まっている、と喜んでいたことでしょう。そして、レストランでは「オムライス好きだもんね」とNちゃんの食べるものが決まり、お菓子売り場では「これ好きよね。買ってあげる」とおやつが決まっているようでした。お母さんが選んであげることは、決して悪いことではありません。ただ、日常生活のなかで、自分が「選ぶ」ということをしていなければ、自分が好きなものを選ぶことは難しいのかもしれません。
私は本を選ぶことがなかなかできませんが、色を選ぶことはできます。「この色が好き!」「このデザインがいい!」と悩むこともないと思います。なぜかと思い返すと、私は幼い頃から陶芸家の祖父にくっついて、活動していました。作品をつくるうえで、祖父は必ず私に何色がいいか、どうしたいかを聞く人でした。創作活動は、能動の極み。自分と向き合うことで、自分の「好き」や「やりたい」を追求していくことができるのです。
数年後、Nちゃんは選択できる人に成長しました。いまは、大好きなダンスを通して、振りを考えたり、衣装を考えたりすることにはまっているそうです。お母さんは自分で選択することの必要性をあの日に感じ、Nちゃんの気持ちを一番に聞くように努めてきたそうです。Nちゃんもダンスという創作を通して自分がどうしたいのか、という内なる対話をしてきたから、好きなものや必要なものを選んで生きていくことができるようになったのだと思っています。
子どもたちにも、もっと自分の好きなものや自分にとって大事なものが何かを知ってほしいです。そしてそれを選び、手にしていくことができる人に育ってほしいです。そのためにも、「私自身がどうしたいのか」にとことん向き合いながら、子どもたちにも「あなたはどうしたいの?」と問いかけていきます。
花まる学習会 田中涼子(2023年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。