5月。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というエンターテインメント施設に行きました。そこは、完全に光を閉ざした“純度100%の暗闇”。普段から目を使わない視覚障がいの方の案内で、参加者が暗闇のなかで時間を過ごすといった施設です。目以外の何かを頼りに暗闇のなかを歩いていく…。それを聞いて、みなさんは何を感じますか? 好奇心か、それとも不安か。実際に私がなかに入ってみると、本当に真っ暗闇でした。目の前に自分の手を近づけても見ることができない。自分は瞼を開けているのか、閉じているのか、それすらわからない。そんな世界です。「それではみなさん、出発しましょう!」とガイドの声に導かれますが、そう簡単に前へは進めません。
私たちのグループと一緒に、一組のご家族が参加されていました。6年生の女の子(ぽんずちゃん)と、1年生の男の子(たっくん)。ぽんずちゃんは、「暗い! 見えない!」と言いつつも、その声はどんどん前に進みます。お母さまはぽんずちゃんに対して「そんなに早く行かないの!」と注意を促します。たっくんは「何か見える!」と言いながら軽快に歩いているようです。「あ! ここに壁があるよ~!」と私の右側で言ったかと思ったら、「ここ砂利道だ~!」と今度は左側で。たっくんはこの空間に何人いるんだろうか…と思うほどに、さまざまな場所から声がします。その一方で私を含めた大人たちは、足元を確認し、壁を確認し、ゆっくりゆっくり…歩を進めていきます。
大人ってなんて不自由なんだろう。
ただただ、そう思いました。限られた情報を元に、頭のなかで暗闇のなかに広がる空間を「想像」し「構築」するからこそ、確実に前進することができるのでしょう。ですが気づかぬうちに、その目の前の空間を自分自身の「経験」という枠のなかに押し込めてしまっている。一方の子どもたちは、目の前の情報「だけ」を頼りに、その空間に自分自身を適応することができてしまう。
経験は時に、人の行動を制限する足かせにもなる。
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ある日の年中コースでは、紙飛行機を作って飛ばす実験を行いました。年中クラスの子どもたちは、一生懸命に紙を折り、飛行機を仕上げていきます。おぼつかない手つきで折る紙飛行機は、お世辞にも“上手なもの”ではありませんが、それぞれに個性が現れ、“美しさ”を感じました。
さて、いよいよ飛ばしましょうという場面。私は当たり前のように「上投げ」の構えで紙飛行機を飛ばします。子どもたちもそれに倣って、同じ飛ばし方をしようと試みます。しかし飛行機はなかなか飛ばず…。そんななか、一人の女の子が、さも当たり前かのように「下投げ」の構えで紙飛行機を持ち、宙に向かって放ちます。紙飛行機は一度、天井に向かって上がると、方向を変えて、急降下。こんな飛ばし方を初めてみた! と私が驚くのも束の間、教室にいたほかの子たちも、次々に「下投げ」で紙飛行機を飛ばし始めました。
「紙飛行機は上投げで飛ばすもの」という私自身の“常識”からすると、不思議な飛ばし方にも見えてしまいます。しかし、子どもたちの世界には、飛ばし方の常識なぞ存在する由もなく、自由な発想でそれを編み出していくのでしょう。
私も「下投げ」で紙飛行機を飛ばしてみると、実におもしろい軌道を描きました。「飛ばし方の常識」が少し覆ったようにも思います。
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人は多くのことを経験するからこそ、想像力・言語力・思考力等が育まれ、人としての魅力につながっていくと花まる学習会では考えています。確かに、それに誤りはない。しかし、どこかで経験してしまうからこそ、その経験をもとに、“線”を引き、“枠”を作り、ものごとに“ラベリング”している事実があるのかもしれないことに、子どもたちを見て気づかされます。決して経験を否定するわけではありません。ただ、子どもだから存在しうる「自由」があり、大人だから存在する「不自由」がある。限られた幼少期はとても貴重で価値ある時間のように思えてなりません。
花まる学習会 石須孝志(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。