「これ、網(洗濯ネット)に入れて洗う系じゃね?」
「洗う系じゃね!?」
洋服を洗濯機に入れようとした娘の言葉に驚き思わず聞き返してしまいました。「その言葉づかいはよくないね。あまり使ってほしくないな」と伝えたところ、まだ素直に「はい。ごめんなさい」と聞き入れたので、それで収めたのですが…。入浴後に見ていたバラエティ番組でおもしろい場面があったのでしょう。ゲラゲラ笑いながらの「これ、やべー!」というワードチョイスに心中穏やかではいられませんでした。
小学校に入学後わずか3か月で荒れはじめた娘の言葉づかい。その晩、娘が言葉を覚えはじめた頃の動画を見返して「かわいかったな」と懐かしみ、いまの言葉づかいに何とも言えぬやるせなさを覚えたものの「ここでうやむやにしてはいかん!」と一念発起。妻とも話して私たち自身の言葉づかいにもこれまで以上に気をつけて、娘が気になる言葉を発したときは「それはよくない」と伝え続けようという方針を確認しました。学童に通っていれば学年の大きな子とも同じ時間を過ごし揉まれるわけだから、自ずとそういう言葉を覚えて使う場面もあるとは思います。でも、それはそれ。わが家の家訓として家庭内では「正しい言葉を使う」、そこは譲らずにいこうと思います。
さて、近年いわゆる著名な方に対し、SNSを通して度が過ぎる誹謗中傷を繰り返し、取り返しのつかない痛ましい結末を迎えたというニュースを目にすることが増えています。報道は氷山の一角で、無数の言葉による暴力が繰り広げられていることは想像に難くありません。文字に起こされ目から入る情報は特に心に影響を及ぼすことは、私も実感したことがあります。これまでに数冊、書籍を執筆する機会がありました。業務時間に筆を進める時間を捻出することはできないので、自ずと睡眠時間をかなり削ることになります。期日までに書き上げなければいけないものですし、世に出るものである以上ミスなく推敲を重ねなければいけない重圧もあり、大げさではなく命を燃やすような数か月を過ごすのです。できあがった書籍を手にしたときは安堵しかなく、本を両親に手渡したときに大変喜んでくれたことで、ようやく嬉しさを感じたことを覚えています。そこでやめておけばいいのですが、人間が未熟なもので、しばらくしてエゴサーチをしたのです。すると率直な書評が出てくる出てくる。もちろん、多くは「参考になった」というものですし私の人格に対する言及はありません。それでも「新しい情報はなく読む価値なし」等の書評を目にすると、たかがその程度のことでも結構、心を痛めるものでした。世に出た私の本を手にして読まれた方が、そこに書かれた言葉や考えによって気分を害するようなこともあるかと思いますから、批判も含めて受け止めなければいけない一定の責任は生じると思っています。しかし、一冊書き上げる過程で読者に対して「何か一つでも参考になりますように」と思いを馳せ続けたことは汲んでもらえるものではありません。批判も割り切れればいいのですが、不思議なものでネガティブな言葉ばかりが心に残るのです。
私なんかはその程度ですが、自身のパーソナリティにかかわるデリケートなことや、愛する大切な人のこと、尊厳を一方的に著しく傷つけられたときの心のダメージは計り知れないものだと思います。反論でもしようものなら火に油を注ぐことになりかねないですし、「名前が出ている一人」対「匿名の不特定多数」はあまりにも分が悪いですから、ただ耐えざるを得ない。アンフェアですね。いま、ネットで記事を見ると多くのコメントが残されています。なかには匿名のコメントに対して匿名の人が叩く、言葉による殴り合いが散見されますが何とも醜いものです。
私が何をできるわけでもありませんが、せめてかかわる子どもたちには、言葉は時に恐ろしい凶器にもなること、言葉で他者を貶めることに快感を覚えるような人には決してなってほしくないこと、被害にあうようなことがあったときは、必ず助けを求めることを伝え続けていきたいと思います。「言葉が人格を作る」師に教わった言葉を反芻する日が続いています。
花まる学習会 相澤樹(2023年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。