【花まるコラム】『原体験』和田真理子

【花まるコラム】『原体験』和田真理子

 新聞紙・すずらんテープ・段ボール、魅力的なあそび素材を集めた日がありました。1歳の男の子が、自分の背丈の半分くらいはある、段ボールで作られた手押し車を見つけました。そのまま吸い寄せられるように手を伸ばし、まずは乗り心地を確かめます。少し車に乗っていたけれど、今度は動かしたくなったようで平らな場所で押してみたり、引いてみたり。そのうち、マットで作った坂があることに気がつき車を移動。坂の上でまた押したり引いたり。その日、ほかの素材には目もくれず、多くの時間を使って彼がしていたのは「手押し車を動かす」ということでした。1歳の子にとって軽くはない手押し車だったと思います。初めは車が動かなかったり、ガタガタと動いたりしていましたが、何十分も続けていると、クラスが終わる頃には滑らかに坂の上を動かせるようになっていました。
 彼は教室に来ると、壁に飾ってある色紙とCDケースで作られた鮮やかなガーランドを観察していました。飽きることなく、来るたびにガーランドの近くに駆けていきます。お気に入りを確認していたのかもしれないし、見るたびに新しい発見があったのかもしれません。一緒に来ていたお母さんは、毎回そっと彼の傍にいて彼の表現を受け止めていました。1歳前半というまだ言葉のない時代にいた彼はお母さんに見守られながら心と体の感覚に集中し、物を知っていく経験をひたすら積んでいるようでした。

 数年前、出会った女の子がいました。彼女は、サマースクールのサムライ合戦に命を懸けていて、毎年希望するのはサムライの国コース。ある年には「絶対今年も勝ってくるよ!」という暑中見舞いをもらい、ある年には勝ち方が描かれた自作の漫画を見せてもらいました。受験生になると「今年がラストサムライです。絶対勝つ」と気合が入りまくり。何年間もずっとどう勝つのか、ワクワク考えているのでした。彼女がサムライ合戦と同じくらい熱中していたのが思考力問題でした。思考力問題の時間、彼女の輝きが一層増すのです。あっという間に解き終わるので、毎回特別課題を準備し渡すと、嬉しそうに時間いっぱい考えることに没頭するのでした。彼女は自分の心惹かれたものを探究する喜びを知っているようでした。

 いま、目の前のことに夢中になる。やりたいようにやってみる。小さい頃に何をやったかは覚えていないかもしれないけれど、湧き出る「こうしてみよう」を表現し自分でつかみ取っていく経験は、その子の人生を彩る原体験になる。

 思考力問題に夢中だった彼女は、いまは高校生になり自分の気持ちに従い海外へ。彼女が旅立つ前、話をしました。「いってきます!」の言葉が力強くて、これからの学びにワクワクする顔は当時と同じでした。手押し車を動かしていた男の子は、2歳になりました。自然物あそびの日には、水のなかで赤い実をプチッと潰すことに夢中に。実を1粒持ってきては、水中で潰し、その感覚と水のなかに広がる赤い色を観察する。次に少し硬い実を持ってくるけれど、潰れない。「できない」と呟くと、また先程潰していたのと同じ種類の実を1粒持ってくる。今度は5個一気に手のひらで潰してみる。いまでは探究中に言葉の表現も多く聞くようになりました。経験していることが言葉によって整理され、彼のなかに落とし込まれているようです。

 女の子と話した日、彼女のお母さんにいま感じていることを聞いてみると、「寂しい! でもあんなにキラキラした顔で『留学したい』と言われたら送り出すしかないですよね。もうまぶしくて」と返ってきました。男の子のお母さんは、これまでのことを振り返っているとき「止めようと思っても彼はやっていくし、どうせ止められないなら思い切りやらせようと思いました。そして、彼が自由にやっているときの表情が好きなんです」と。これまでわが子と過ごすなかでさまざまなことを感じ、考え、出した言葉。そこには見守る側の強さと温かさが溢れていました。子どもたちの没頭の傍に、彼らを大切に思う人の存在があります。子どもたちの輝く探究心、そしてわが子を見守る親の気持ち。それらが合わさって、子どもたちにとってかけがえのない体験になるのだろうと感じるのです。

花まる学習会 和田真理子(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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