【花まるコラム】『滄海の一粟』水口加奈

【花まるコラム】『滄海の一粟』水口加奈

 子育てに勇往邁進するみなさまへ。愛を込めて。

 「滄海の一粟」(そうかいのいちぞく)は、中国北宋の詩人蘇軾の言葉で、大海原に浮かぶ一粒の粟、広大なものの中にある極めて小さいもののたとえです。

 子育ては暗中模索の連続です。だから私たちは時々忘れてしまいます。
 妊娠中は、喜びや期待と同じくらいに不安で仕方がなくて、五体満足に、健康に生まれてきてくれることだけを、ただひたすらに願っていました。ああでもないこうでもないと名前を考えて、かわいい子ども服に心が躍って……。そんな楽しい時間と並行して、つわりがひどく寝たきりになったり、鼻からスイカと聞く陣痛を怖れたり、風邪なんか引けないと常に気を張って、そんな激動の十月十日を乗り越えて、やっと生まれた、かけがえのない、愛おしい命。
 それなのに、どうしても親という生き物は、子が成長すればするほど多くを求めてしまいます。小学生になると途端に勉強ばかりに目がいって、中学生になるともう、それしか見えなくなってしまう。
 私たちは知っているはずなのに。学歴以上に大切なものがあることを。学歴があっても居丈高な振る舞いで信頼を得られない人、学歴はなくとも適応力が高く人望の厚い人、誰しもが前者にも後者にも会ったことがあるはずです。
 もちろん、学歴があること、ある方を否定しているわけではありません。勉強してたくさんの知識を得ることは、視野が広がり、社会で生きる大きな武器になります。学歴のある人格者にも、私はたくさん出会ってきました。
 運動神経や容姿の、持って生まれた才能や遺伝は看過できるのに、学力のそれはそうとは考えられないのはなぜなのでしょう。どうしても勉強は、努力だけの問題だと思ってしまう。
 もちろん、努力で乗り越えられる山がほとんどです。努力を積み重ねられる子は間違いなく伸びますし、そんな教え子たちはみな自分のやりたいことを見つけて幸せに生きています。そこは揺るぎません。ただ、飛び抜けた才能にも出会ってきたから、持って生まれた能力も、私は否定できません。
 大谷翔平選手や芦田愛菜ちゃんのような完璧は望まなくとも、せめて普通で、せめて平均であってほしいと願ってしまう。わが子のでこぼこの「ぼこ」ばかりが気になってしまう。
 鳶が鷹を生むわけなんてないのに。自分にできることはできて当たり前で、自分ができなかったことは克服してほしいと期待して押しつけて。
 自分はどこかで折り合いをつけてきたはずなのに、勝手に期待して、勝手に失望して、子どもに八つ当たりして、そんな自分に嫌気がさす。他人の子には、どうにかなるよ、大丈夫だよと声をかけてあげられることも、わが子にだけは、どうしてもそれができない。
 でもそれが、親なんです。すべて愛があるがゆえなんです。他人の子に大丈夫だと、適当に言っているわけではないはずです。最悪の最悪までをも考えられてしまうのは、愛するわが子のことだから。万が一さえも潰しておきたくなるのは、わが子の幸せを願っているから。
 親だって人間です。イライラして当たってしまうこともあります。そのあと後悔して自分を責めて、わが子の寝顔を見て自己嫌悪に陥って、そんな繰り返し。それは、いつも偉そうにお母さま方に語っている私も同じ。
 そんなときは、一息ついて、立ち止まってみてください。苦しくなったら、わが子のたくさんの「でこ」を数えてください。親の私が信じなくて、親の私が諦めてどうするんだと、前を向き続けてください。わが子の可能性を信じてください。完璧な親なんて存在しないし、そんなものを目指す必要もありません。ただ目の前のわが子の笑顔のために、どうか一度深呼吸をして、笑顔でいてください。大抵のことはどうにかなります。大丈夫です。親は最悪の最悪まで考え過ぎてしまうだけ、そう思えるだけで、少し楽になるはず。

 いま抱えている悩みなど、滄海の一粟かもしれません。でも、大海原の中から、かけがえのない唯一の一粟を見つけて掬い上げられるのは、ご両親、あなただけです。
 その一粟がいつか大海原を航海する日まで、投げることなく何度でも、掬い上げる匙であれますように。

花まる学習会 水口加奈(2023年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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