【花まるコラム】『あの日に出会ったカジカ』生井ちま

【花まるコラム】『あの日に出会ったカジカ』生井ちま

 太陽に照らされた川の水面がなんとも輝かしい。この川を見ると、「夏がきたんだ」とわくわくする。そう、今年も花まるのサマースクールが始まった。川のなかに手足を入れるとひんやりと冷たい。自然の冷たさが夏の暑さで火照った体を癒してくれる。川底に目を向けると、石や魚が見えるくらい水は透明できれいだ。

* * *

 「あっ!カジカ(川魚)だ!」
一人の少年が大きな声で叫んだ。彼は目を大きく見開き、カジカがいるであろう方向を指差した。急いで駆け寄るも、そこにはもうカジカの姿はない。勢いよく駆けつけたものだから、きっと逃げてしまったのだろう。岩陰にひっそりと隠れ、人の気配を察知すると素早く逃げるカジカ。大自然のなかで懸命に生きるからこその“本気”の俊敏さだ。

 「あのカジカにもう一度会いたい。つかまえたい」
それから、彼はとにかく夢中でカジカを探した。腰を低く落として、顔を水面につける。浅い川でのその姿勢は決して楽なものではないが、彼は弱音の一つも吐かない。まわりの友達が魚を探すことに飽きて別の遊びを始めても、彼だけは探すことをやめなかった。手に持った、カジカをとるための紙コップはもうボロボロ。それにも気がつかないくらい、集中して探し続けた。

 しかし、努力がそう簡単に実を結ぶわけではない。1日目も2日目の午前も、彼の紙コップにカジカが入ることはなかった。残された時間は、あと半日。
 彼はこれまで通り、カジカを探し続けた。水面に顔をつけてはあげ、つけてはあげ……。繰り返すうちに息が苦しくなってきたのか、顔を上げるペースがはやくなってきた。心配になった私は、彼のそばに行き声をかけた。
「どう? カジカ、つかまえられそう?」
……驚いた。寒さで彼の唇は真っ青。体は震えていた。一回休もうと言っても、「どうしてもつかまえたい」と、また潜り始めた。寒さで手が震え、紙コップからは水がこぼれているのに……。それでも諦めず、最初と変わらない様子でカジカを追い続ける彼の姿を見ていたら、胸が熱くなった。

 「とれたー!」
数分後、喜びと達成感に満ちた彼の声が、川じゅうに響き渡る。紙コップのなかにはぷっくりとした大きなカジカがいた。震える両手で愛おしそうにその紙コップを持つ彼は
「ぼくがつかまえた、カジカなんだよ」
と、友達に話す。その表情は本当に嬉しそうで、誇らしげで、見ているこちらをもすがすがしい気持ちにさせるものだった。

 たくさん遊んだ川ともお別れのとき。別れを実感したまさにその瞬間、彼は愛おしいカジカの入った紙コップを見つめながら、「どうしよう」と言った。そしてしばらく考え込んだあと
「きっと住み慣れている川がいいよね」
そう言って、カジカを逃がしてあげた。あんなに一生懸命に探し続け、やっと自分の手元にやってきたカジカなのに……。本当にいいの? という言葉が喉元まで出かかったが、やめた。小さな体で懸命に生きるカジカの生命力の強さとその尊さを、きっと彼は紙コップ越しに感じたのだろうと思ったから。

 カジカという一匹の魚ととことん向き合った。自分の思い通りにはいかない大自然だからこそ、探し、つかまえることに熱中した。そして、懸命に生きる命に触れて、彼の心がまた一つ優しくなった。

花まる学習会 生井ちま(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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