【花まるコラム】『モラルとルール』田中涼子

【花まるコラム】『モラルとルール』田中涼子

 友人が「あの子は私の友達と一緒にでかけると、調子にのるから連れて行きたくない」と言うのです。気が大きくなり横柄な態度をとるからいやなのだそうです。以前、一緒にショッピングモールに行った際、ソファに座ろうとしているところを友人は、「迷惑だから止めてって、いつも言っているからね!」ときつい口調で娘に吠えたのです。母親だから娘の行動が手にとるようにわかり、未然に防ぎたかったのだと思います。気持ちは十分に理解できますが、まだ何も起きていないのです。ソファに座るだけでこうなのであれば、日常的に「あれはダメ」「これもダメ」と言われているに違いありません。
 わが子を想い、事前に伝えることも愛。しかし子どもはすぐに忘れる生き物なので、同じことを繰り返し言い続けていると、愛が不満に変わるのだなと感じたのでした。「モラルやルール」に縛られている大人は案外多いのかもしれません。叱られたり反省したりしながら、相手がどう感じているかを学んでいくわけですが、そういう経験をする前に注意してしまうことはよくあること。友人も人の目を気にしてばかりで、「約束が守れたね」「ほかの人のことを考えて座れたね」と言えずに苦しんでいます。ですが、想いはわが子にちゃんと伝わっていました。友人が席を外している間に、彼女の子が教えてくれました。「ジャンプしてソファに座ったら、ほかの人の迷惑なの。だからこうやって座るんだってママが教えてくれたよ。幼稚園でもね、先生に褒められたんだ」と。友人が直接褒められなくても、伝えたかったことは本人に吸収され、第三者によって認めてもらう経験につながっています。もちろん、母から直接褒めてもらったほうが何倍も嬉しいとは思いますが、親として反省し心配するほど、ダメな子ではないということがわかり、友人も少し安心した様子でした。

 年中思考実験「折り染め」で、紙を染めることよりも、手で色水をパチャパチャすることに興味をもつ子がいました。このとき、私は見守ることにしましたが、本人はよくてもほかの子にしたらよくない場合があると、あとから感じたのです。こだわりが強い子は、友達の絵の具が自分の作品にハネたらショックを受けるでしょう。作品を汚されたと思う子もいるでしょう。創作の場において、みな同じように満足するためには、やはりルールが必要なのだと思います。
 この子が汚れた手をキレイにしたくなり、先生の服で拭こうとしました。そういう遊びでない限り、その行為はモラルに欠けています。自分は無邪気に遊んでいるつもりでも、相手の感じ方はそうではないこともあります。もしかしたらタオルで拭けばいいことに気づいていないのかもしれません。そういうときは教えてあげればいいだけのこと。
「手が汚れた」
「手が汚れたね。それでどうしたいの?」
「手を拭きたい」
「そっか、手を拭きたいんだね。タオルをどうぞ」
 子どもの言いたいことがわかったとしても、あえてやりとりをすることで学びにつながります。ことばのキャッチボールという点においても、会話力を育む良い機会。特に、幼児期には大事にしてあげたいと思っています。
 結局この子は、創作に夢中になり色の変化に感動している周囲の姿を見て、自分もやりたくなり、パチャパチャ遊びを止め、創作のなかで発見する喜びや学びを得て成長していきました。幼児期には、仲間と夢中になったり、発見や感動を共有したりすることでモラルやルールを自然と身につけていくのかもしれません。

 子どもたちには、いつでもじゆうな発想でのびのびと遊び学んでほしいと思っています。ただ「好き勝手」と「じゆう」は違います。私たち大人が子どもたちに期待することは、「モラルやルール」のなかに存在する「じゆう」なのでしょう。ただモラルやルールを教えるのではなく、子どもたち自身が、経験や感じたことから得たものでないと、子どもたちにとって価値のある「じゆう」も得られないのだと思うようになりました。「モラルやルール」をどう伝えていくかは、大人の課題でもあります。みなさんと一緒に悩み、考えながら、一人ひとりと丁寧に向き合っていきたいと常々思っています。

花まる学習会 田中涼子(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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