みなさんは、井上靖の『あすなろ物語』という本をご存知でしょうか。この本は、翌檜(あすなろ)という木の名前の由来「あすは檜(ひのき)になろう、と考えているから翌檜」という話が、人間の成長のなかに織り込まれた作品です。私はこの本に、これからどのように生きていけばいいのかを教えられました。
この本は、中学1年生のときに1年間だけ担任をしてくださった先生が、最後の日にクラス全員にプレゼントしてくれたものです。先生から何かをもらう経験は初めてだったので、どんな本なのかなとわくわくしたことを覚えています。すぐに読んでみたのですが、60年以上前に書かれた本だったので中学生の私には文章が難しく、内容の理解ができずに、途中であきらめてしまいました。それでも、この本は先生からもらった「特別な本」として私の心に刻まれていました。そして人生の節目、節目にこの本を思い出して読みました。
大学生になり、だんだんこの本の意味を理解することができるようになると、先生が私たちに何を伝えたかったのかがわかってきました。
この本の主人公は、さまざまな人との出会いと別れを繰り返し、そのなかで出てくる「あすなろたち」とともに、自分の人生を輝かしいものにしていきます。この「あすなろたち」という人々は、明日は檜になろうと考える翌檜にちなんで、明日に向かって自分のために、懸命に生きていく人のことです。
人は生きていくうえで「何かにならなくてはならない」と無意識のうちに思っている節があります。みなさんもよく、「何になりたいの?」と聞かれた経験はありませんか?私はそう聞かれ、何かになりたいと明確なものがなかったときは、返答に困っていました。もちろん、なりたいものがあれば、その目標に向かってどのように行動をすればいいのか、という道は示されます。しかし「人は本当に、何かになりたいと思って生きていかなければならないのか」「目標がない時期があってもいいのではないか」と目標がないときに思っていましたし、目標があるいまもそう思っています。
この本では、なりたいものがなくても、何かをしていれば「あすなろ」だと、「何かにはなろう」と努力することが大切だと、語っています。私の担任の先生は、何かにはなろうと思わなければ、動くこともできない、「明日は何者かになろう(あすはひのきになろう)」と懸命に生きながら、「とりあえずやってみようよ」とエールを送ってくれたのかなと思います。
その想いを受け取ったうえで、子どもたちとかかわっていくと、この本と類似する点がありました。子どもたちは明日、何者かになろうと考えることなく、自然に自分の人生を輝かそうと、目の前にあるものに全力で取り組んでいます。たとえば低学年で扱う、レインボータイム。これは、授業の時間にやるべきプリントをすべて終えた子だけが挑戦できる思考力問題です。最後の問題は、大人も考え込むくらいの問題となっています。それを15分程ずっと考えていた男の子が私に、机の上にあった多くの消しゴムのカスを指さして「ほら見てよ!」と言いました。「こんなに消しゴム使うくらい考えたんだから!」という意味で見せたのです。レインボータイムやほかの問題を解いていたまわりの子の机にも、消しゴムのカスがたくさんありました。その「消しゴムのカス」は、全力で問題に取り組んだ証。子どもたちは、目の前にあるものに全力で取り組み、何かになるために努力をし続ける「あすなろ」なのだと思いました。
そんな「あすなろ」な子どもたちも、いつかは大輪の花を咲かせます。何者かになり、自分なりの幸せをつかんでいきます。何かにならなくてはならない、ということはなく、いまの自分を一生懸命生きることで、「何者か」になれるのです。「何者か」になれるように、「あすなろ」になれるように。毎回の授業のなかで、子どもたち自身が全力で取り組めるように声をかけていきます。そして最終的には、子どもたちが目標に向かって懸命に生きることができるように、私も担任の先生と同じように「とりあえずやってみよう!」と応援し続けます。
花まる学習会 松浦加奈(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。