【花まるコラム】『じゃあね、いってらっしゃい』柳澤隼人

【花まるコラム】『じゃあね、いってらっしゃい』柳澤隼人

 スクールFCの卒業生たちから「入学しました!」と写真つきで連絡が来ました。少し大きめの制服に身を包み、ピカピカのローファーと背中には指定の大きなリュック。自分で選んだ道の一歩目を踏み出したことへの希望とワクワクが表情から読み取れます。これから成長とともに段々と制服が似合い、丈が短くなるくらいに身も心も大きくなっていくことが楽しみです。

 同じように、出会った頃は年長だった子のお母さまから「入学して1年生になりました!」とご連絡をいただきました。体と同じくらいの大きさのランドセルを背負い、結び慣れていないネクタイは明後日の方向を向いていました。写真では、後ろにいる親御さんはにっこりと笑い顔を見せているのに対して、一歩前に立っている彼の表情は、ワクワクよりも不安が勝っているように見えました。笑おうと口角は上げているものの、絵に描いたように眉が垂れている(その姿がなんとも愛おしい)。少し顔が強張っているのは、幼いなりに「新しい環境」への緊張を抱えていたからでしょう。

 みなさまから送られてくる写真を見て、先日、実家に帰ったとき、母に自分のことを聞いてみました。幼稚園の入園後、泣かずに登園できるようになるまで2か月かかったこと。初めの1か月は園に入るまでに1時間以上かかり、母と園長先生は私が入れるまでずっとそばにいてくれたこと。小学校の入学式のあとは、姉と一緒に登校したいのに先に行かれてしまい、家の目の前で大泣きして遅刻ギリギリまで動けずにいたこと。自分の気持ちを整えるのにものすごく時間がかかるけれど、最後は自分の足で歩き出すのはわかっていた。だから、心配だったけれど見守っていた、と。もちろん私はそんな日のことを少しも覚えていませんが、きっと見送った母は、そのうしろ姿をずっと覚えているものなのでしょう。そんな語り口でした。

 たとえ時間がかかっても、自分の感情と向き合い、気持ちに折り合いをつけて歩んでいけるようになるのは自分自身の経験からもわかっていることですが、いざわが子となると、不安と心配が先行するのが親心というものなのでしょう。花まる学習会に通っている子どもたちも保護者のみなさまも同じような気持ちを抱いているかもしれません。特に年中、年長の子どもたちは、花まるが初めての習い事だという子もいます。たった1時間ですが、子どもにとっては大きな1時間。それを一人で過ごすことは、勇気がいることなのです。

 花まる学習会の初回授業で、「じゃあね、いってらっしゃい」と笑顔で送り出し、教室に向かう子どもの姿を涙ぐみながら見送る保護者の方がいらっしゃいました。今日という日に至るまで、いろんなことがあったのだろうな、と想像します。
 生まれたてのしわくちゃで真っ赤な顔も、ミルクを求めて必死で泣く顔も、目がぱっちり開いて、一生懸命こちらを見ている顔も、自分の手を見つけてじっと観察したり舐めたりしている様子も、ずり這いができるようになって家中を探索する様子も。立てるようになって、歩けるようになって、走れるようになって、相槌が打てるようになって、物の名前を覚えるようになって、話せるようになって。いまでは「今日は何をしていたの?」と聞けば「今日はねぇ、公園で遊んできたんだよ。あそこのブランコが楽しくて、大きいバスが通ってね、それでね…」と事細かに伝えられる。気づけばどんどん大きくなり、つないでいた親の手を離して、一人で教室に入っていく。
 そんな想いを胸に抱きながらの「じゃあね、いってらっしゃい」だったのではないでしょうか。

 花まる学習会で、子どもたちは家族のいない場所へ一人で進み、たくさんの「はじめまして」をその小さな体で受け止めていきます。外ではきっと、うまく気持ちを伝えられないことや、思うようにできなくてつまずくこともあります。そんな経験をして、乗り越えて、社会への一歩を踏み出していくのです。それを保護者のみなさまの代わりに見守れることが、私たちの喜びです。

 「じゃあね、いってらっしゃい」と口にする瞬間に滲む涙に込められたものと、教室から出てくるわが子を笑顔で「おかえり」と抱きしめているその姿から、送り出される子どもたちがどんな想いに包まれているのか。その想いを受け取り、今日も授業を行います。

花まる学習会 柳澤隼人(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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