【花まるコラム】『青い箱』樫本衣里

【花まるコラム】『青い箱』樫本衣里

 「……」
子どもたちが帰宅したあとの静まりかえった教室。無言が続いています。5年生のYくん。「サボテン」の問題をずっと睨んでいたのですが、ポロポロと涙がこぼれてきます。

 小学生になると「サボテン」という計算の教材を1日1ページ宿題として進めます。今回の単元は、「小数÷小数」の計算。桁が増えて難易度も上がっていました。
 その日、授業でのYくんの取り組みを見たときに、違和感がありました。宿題範囲はすべて筆算もしっかり書かれているし、正解ばかり。しかし、授業中にその問題を解いてみると、まったく手が動かないのです。これはこのままにしておいてはいけないな、と、授業中にYくんに声をかけました。
「Y、今日のサボテンのやり方、わかる?」
「うーん、ちょっと忘れてしまいました」
「そっか。昨日のサボテンはしっかりできているね」
「昨日はできたんだけど…ちょっとうっかり忘れてしまって…」
「そうだったんだね。それじゃあ、今日の授業の後、一緒にやってみよう」
と伝え、その場でYくんのテキストを預かりました。
 その後、Yくんの解いた跡をもう一度確認してみました。昨日まで解けていたものが、1日でわからなくなるということは考えにくいことです。そしてじっくり筆算を見てみると、その原因がわかりました。筆算の問題と答えは正しいのですが、途中の計算部分がまるでめちゃくちゃ。Yくんは答えを見て、その答えになるように、途中の計算部分は適当に数を書き、辻褄を合わせていたのです。
 「わからない」ということから、逃げてしまっている。自分をごまかしてしまっている。これは、勝負どころだと心を決めました。

 そして皆が帰ったあとの教室。
「Y、昨日解けた問題ならできると思うから、もう一回やってみようか」と問題を紙に書き、渡しました。「はい」と素直に受け取ったものの、鉛筆は動くことはありません。ただただ1点を見つめ…1分経ち、2分経ち、10分、20分経ち…大粒の涙がポロリと出たとき、ようやく声をかけました。「先生はYのこと信じている。もう1週間待つから、来週までにサボテンをやっておいで。ただし、自分に嘘をつかないこと。逃げないこと。わからないことはいつでも電話をしておいで」と。
 「わかりました」と、テキストをさっとカバンに入れ、涙を袖で拭って、車で待ってくれていたお母さんのもとに帰っていきました。

 そして翌週。
 「先生、サボテンをやってきました」と、自ら私のもとに持って来てくれたYくん。見てみると、筆算を書き込み、丸付けまでできています。途中の計算も確認しましたが、すべて正しいものでした(前の宿題で答えを写してしまった部分までは直していませんでしたが…)。
 私の顔を心配そうに見つめていたYくんでしたが、私がテキストを閉じて「がんばったね」と笑顔で返すと、「ふぅ」と息をつきました。
 その日の授業でのサボテンの時間。3分で終えられたのは問題の半分くらいの量でしたが、Yくんの表情に少し晴れやかさを感じました。

 思春期に突入した「青い箱」の子どもたち。まだまだ不器用で、大人になるための練習をもがきながら一生懸命しています。
 「大人になるまで、しっかり見ていて。でも自分できっと解決できるから、信じてちょっと待っていて」。そんな子どもたちの心の声が聞こえてくるようです。
 あのとき、Yくんに無理やり確認をして、事実を把握することはできました。しかし、自分の心の弱さと向き合い、逃げずに自分と対峙することが、いまの彼にとって必要なことだと信じ、「待つ」という選択をしました。今回、Yくんはまずはひと山を乗り越えましたが、もしかしたら乗り越えられないこともあると思います。しかしそんなときも、変わらず横で伴走し続ける。手は離して、目は離さず。そんな存在でありたいと思います。

花まる学習会 樫本衣里(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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