秘密基地づくりでもRPGでも、冒険のはじまりはいつでも興奮と戸惑いが入り混じった不思議な高揚感があるものです。どこへ向かうか、どう向かうか、自分の頭と体と勇気を信じて突き進む。それは初見の問題と出会ったときと似ているかもしれません。
「なにこれー!どうやって考えるの?」
「もうやっていい?」
教室に到着するなり、その日に取り組む問題を確認している1年生たち。彼らは怖いもの知らずの“新前勇者”です。ひらがなで書かれた短い問題文を声に出して読みはじめる子もいれば、雰囲気を察して何となく手を動かしはじめる子も。そんななか、Aくんは1人だけ慎重に問題を眺めていました。少し様子を見てから声をかけてみると、静かに
「難しそう…。こういうの得意じゃない」
と呟きました。これまでにどこかで似たような問題を解いた経験があるのかもしれませんが、授業で取り組むのは、ほぼ初めて。先入観から「これは得意じゃない」と思い込んでいるようでした。どこかに自信を置いてきてしまったような小さなAくんの背中を見て、わたしのなかで警告音が鳴りました。
はじめは何でも楽しく取り組んでいたはずなのに…いつの間にか「勉強が嫌い」「○○が苦手…」と言いはじめてしまう子を見かけます。どこでボタンを掛け違えたのか。本人もまわりの大人も気づかぬうちに刷り込まれているよくある話です。私は、新年度授業の前に、子どもたちに「好きなこと」「嫌いなこと」を理由とともに聞いています。人間というのはおもしろいもので、好きである理由は熱量高く、詳しく明確に答えられるのに、嫌いなものとなると途端に同じようにはいかなくなります。「だって嫌いなんだもん」「面倒くさい」など、切り捨てるような感じで理由を掘り下げることができないことが多いのです。全部とは言えませんが、そのうちの何割かは、過去のちょっとしたつまずき経験が大失敗かのように「勘違いと思い込み」をしてしまっているからではないかと考えています。失敗は良くないことだと勘違いし、うまくいかないことはすべて失敗だと自分で思い込んでしまうのです。
どうしたら彼らをその呪縛から救い出せるでしょうか。まずは、失敗を必要以上に失敗だと思わせないことだと感じています。迷路のように行ったり来たりを繰り返している最中なのだから、一度の行き止まりで諦めない。すぐに引き返して別の道を探してみればいいだけだ、と。子どもにとって、そのように誰かに背中を押してもらう経験は貴重なのかもしれません。そういう点で考えても、幼児期に迷路の問題を楽しめる子が将来伸びると言われる所以が腑に落ちます。
次に、いろいろと誰かと一緒に試してみることです。「誰か」というのが肝で、隣にいてくれるだけでいいのです。集団のなかにいることで無意識に刺激をもらっています。そして、手持ちの武器を手当たり次第使ってみる。わざと簡単な相手を選んでみるのもいいでしょう。「あれ?わかっちゃったかもしれない!」と思えたら、意識は自然と変わっていくし、経験値も上がります。少しずつおもしろさを感じられるようになれば、いつの間にか楽しくなって、好きなことだと認識していきます。そうやって苦手意識に少しずつポジティブな「勘違いと思い込み」を上書きしていけば、子どもたちは得意意識にあふれていくと信じています。
さて、Aくんはどうしたかというと。私と一緒に考えるなかでその鍵を見つけることができました。きっかけは些細なことでした。私が隣でAくんの考えを実況しただけです。
「なるほど、いまここに気づいたんだね」
「あ、さっきと別の考え方で試そうとしているんだな」
「おー、これがわかっちゃったら、次も解けちゃうな」
そんな数分のやりとりで、最終的にAくんはその問題を自分で解ききることができました。顔を上げた瞬間の鼻が膨らむ様子から、達成感と興奮が伝わってきました。大きく深呼吸したAくんは、静かに新たな冒険に旅立ちました。
花まる学習会 中山翔太(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。