私は、どんなときも楽しそうな、いつでも遊び心を教えてくれる子どもたちのことが大好きです。
いたずらだって、おもしろがってやること。「おもしろそうだと思うこと」を発見できるのが、子どもたちのありのままの姿なのだと思います。自分自身で見つけられることは、誰かに教えてもらってできるようになることではありません。子どもたちはまだ「これを触ったらどうなる」「こうしたらこうなる」など知らないことが多いからこそ「おもしろそう!知りたい!」という気持ちからたくさんのものに興味を示します。外に落ちている泥がついた明らかに腐りかけた木の実も、子どもたちにとっては新たな発見なのです。大人が見ると「汚い、汚れる」と思うようなものでも、初めて見るものだからこそ子どもたちは目を輝かせます。私たち大人とは見えている世界が違うのだなあと、特に年中クラスの「外遊び」の際に気づかされます。
年中クラスでは、特別授業で外遊びに出かけます。子どもたちの外遊びは公園に着いてからではなく、教室を出た瞬間から始まっています。教室を出ると外は、子どもたちの興味を惹くものであふれています。道路を走る車・自転車・バイク、道端の草木・落ちているゴミ・おうち・木に止まっている鳥・側溝の蓋など。しかし経験がないぶん危険を感知しにくいため、「先生より先には行きません」というお約束をしてから出発します。公園までは歩いて約10分、行きと帰りで見え方が変わるのでしょう、行きには発見できなかった草木を発見することもあります。発見が多いからこそ、まっすぐ目的地に向かうより時間がかかってしまいますが、この発見の時間が私は大事だと思っています。外遊びに出かける道のりはいつも同じ。何気ないいつもの道で、毎回違う発見ができることは、それだけまわりを見渡しながら歩いている証拠です。同じことの繰り返しでも新鮮な気持ちでいられる、ということだと思います。この気持ちは大きくなっても持ち続けてほしいと思っているので、外遊びに出かける際は、往復の時間もできる限り子どもたちの言葉を拾いながら歩くようにしています。
教室を出てすぐに、家のインターフォンが気になったAくん。「押しちゃおうかな…」と笑っていました。「怪獣が出てくるかもしれないよ…!」「出てこないよ!次のおうちも探そう~!」なんて会話をしながら先を歩いていると、また別の家が見えました。そこは柵越しに広い芝生の庭が見える家でした。Aくんには戦場に見えたのでしょう。柵から銃を出して発砲!さっきまでインターフォン探しに夢中だったAくんは突然、庭に向かって闘いごっこを始めました。また別の日は、インターフォンには興味を示さず、側溝を踏むことで鳴る音に興味を示していました。
外遊びのなかでこそ、子どもたちのありのままの姿を見ることができます。なぜなら、ゲームやおもちゃを使わない遊びは、子どもたちの考えから生まれるからです。まさに、これは自分自身で物事を良い方向へ運ぶ練習なのだと思います。子どもたちは強制されることなく、楽しみながらこの経験を、外遊びを通して積んでいけるのです。自分でおもしろそうだと思える方向に向いていくことができれば、この先思うようにいかないことがあったとしても、きっと明るく過ごしていけると思います。大変なときこそ、ピンチのときこそ、前を向いてその状況を楽しむ人になってほしいと思います。年中クラスに限らずすべての花まるの授業を通して、全学年の子どもたちの“自ら考えてとった行動”を否定せず、受け入れていきたいです。もちろん、人を傷つけるようなことがあればきちんと伝えます。
一度きりしかない人生をよりよくしていくために、少しでも自分が力になれたらと、毎週の授業に向かっています。自分と出会った子どもは少なからず、自分の人生を存分に楽しめる人になってほしい。いつまでもわくわくを、遊び心を忘れない大人でいてもらうために、私は今日も子どもたちの前に立っています。
花まる学習会 村井美月(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。