「当たり前」の反対は、「有難い」だといいます。たくさんのことが「当たり前」ではなく「有難い」ことに気がつくと、自分の幸せの多さに驚くものです。
街の景色が綺麗なこと。コーヒーがおいしいこと。夕焼けが美しいこと。ごはんを食べられること。
私自身、ごはんを食べるのに苦労した時期がありました。その経験からか、ごく当たり前に思える身のまわりの「有難い」を見つけ出すことができ、いまをとても幸せに生きています。
しかし最近、子どもたちを見ていると実は、「当たり前 」のほうにこそ、生きるうえで大切なことが詰まっているのではないかと思うのです。
いま、教室ではある変化が起きています。なんと、宿題をやり忘れてくる子がいなくなっているのです。
以前は毎回のように宿題を忘れていた子も、いまでは「毎日やっているよ?」と、当然のように言います。そして、宿題の範囲を全部終えられていても「実は、二日分をまとめてやっちゃった…」と気まずそうに報告するのです。 忘れてしまった日は翌日にやるという目標を、しっかりと達成しているにもかかわらず、です。
私は、子どもたちにとって日々の学習が特別なことではなく、当たり前のことになっていると、はっきりとわかりました。
当たり前になったことは、「よし頑張ろう!」と意気込む必要もありません。 つまり、「当たり前」はその子の「生き方」に直結しているのではないでしょうか。
幼い頃、いつも父が私に言い聞かせてくれていた三つの言葉があります。
1. やってみなきゃ、わからない。
2. 失敗したら、もう一度。
3. 自分がされていやなことは、人にもしない。
この三つの言葉は、私の生き方そのものであり、私にとっての当たり前です。この生き方を私の当たり前にしてくれた父親に感謝しています。
そして、「当たり前」の有難さを実感している私が、今度は子どもたちに何を伝えられるかと考えています。
宿題以外にも、当たり前だと思ってほしいことがあります。 約束を守ること。友達を思いやること。自分を信じること。
いつか、子どもたちが自分の道を見つけたときに、そのまま真っ直ぐに突き進んでいけるように。あの日の父親と同じように、子どもたちの心に想いを届けてまいります。
花まる学習会 平山真康(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。