セミの鳴き声も少なくなってきた秋の頃、押し入れの奥から「大切」と書かれた箱を見つけました。
一瞬触るのを躊躇い、ゆっくり深呼吸をしてからそっと箱のふたを開けると、30年前の懐かしい匂いと当時の想いが私を包み込みました。箱の中にある、高校時代の恩師に宛てた手紙の周りには、当時のままの空気が残っているように感じました。
「先生はなぜ、先生になったんですか?」それが恩師と交わした最後の言葉でした。
高校3年生になり、仲間やクラスメイトが進路の話や、受験の話をするようになっていた頃、私は極力その話題を避けるようになりました。その理由は、自分が何をやりたいのかわからなかったからです。それを決めることで自分の可能性が一気に狭くなる感覚があり、考えないようにしていました。思春期ということもあり、人間関係もあまり上手くいかず、家族や周りの人に対してもわざと冷たくあたるようになりました。
そんな私にいつも寄り添ってくれたのは、体育教諭でもある、担任のF先生でした。クラス担任ということもあり、私を心配してくれていることは充分に伝わってきました。毎日必ず私に声を掛けてくれていたことは、いまでも嬉しかったこととして私のなかに残っています。
2学期になると本格的に受験や進路の話題ばかりになり、孤立していくのをみかねて、F先生は放課後、私を屋上に呼び出しました。
まだ半袖でも暑く感じる日差しと優しく吹いている風が、私とF先生を包んでいました。遠くから校庭で活動する野球部の声が聞こえていました。
互いにしゃべり出すきっかけを探っている時間が長く続きました。その空気に耐えきれなくなり、私はF先生に聞きました。「先生はなぜ、先生になったんですか?」先生は、しばらく空を眺めながら、「そうね、あなたのような生徒を心から応援したいと思ったからかな」と言いました。励ますための言葉とわかっていましたが、想像以上に先生の言葉が胸に刺さりました。涙がこぼれそうになるのを我慢するのが精一杯でした。
「みんな違っていい。同じじゃなくていい。大人になったときに、ずっと応援してくれた人がいたなと思ってもらいたい。いまだけではなく、これからずっと応援できる人になりたいと思ったから、先生になったんだよ!」私はその言葉を聞きながら、青く澄んだ空を見上げるのが精いっぱいでした。
それがF先生と交わした最後の言葉でした。
その後、F先生は体調を崩して休みがちになり、私が卒業すると同時に退職されました。そして2年の月日が経ち、自分の進路を決めたときにF先生へ手紙を書きました。
数日後、宛先不明で戻ってきた手紙を、「大切」という紙を貼った箱にしまって大事に残してきました。
先日、教室で低学年のOくんに「先生はなぜ、花まるの先生になったの?」と聞かれました。
一瞬にしてF先生のことが記憶として蘇りました。あのとき、屋上で感じた気持ちを思い出しながら、優しく丁寧に伝えました。
「これからみんなが大きくなってもずっと応援できるのが先生なんだよ。だから先生になったんだよ」
その言葉を聞いたOくんはしばらく考えてから、「へえ~」と言って自分の席に戻っていきました。
いまも、F先生に宛てた手紙は大切に保管しています。中身を見なくても、何が書いてあるかいつでも思い出せます。
「F先生へ
やりたいこと見つけました。F先生のような先生になるために頑張るよ。だから、応援してください!」
みんな違っていい。同じじゃなくていい。ずっとずっと応援してくれているF先生のように、これからもみなさまの大切なお子さまをお預かりさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
花まる学習会 箕浦健治(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。