【花まるコラム】『桜の花の咲くころに』田口敬二

【花まるコラム】『桜の花の咲くころに』田口敬二

 4月6日のことです。運河沿いにある小学校の校門の前に、長蛇の列がありました。何かイベントでもあるのかと思いながら段々と近づき、よくよく見ると、その日は入学式で、校門にある桜の木を背に、家族で写真を撮るために並んでいた列でした。その後、帰宅するのか食事に行くのかわかりませんが、黄色い帽子にカラフルなランドセルを背負った新1年生たちが両親と手を繋ぎ、横を次々に通り過ぎていきます。「よかったね、今年の桜は入学式までもったね」と思うのでした。今時のランドセルは、水色やピンク、キャメルといった中間色が多く、桜に負けず劣らず、華やかな気がします。小さい体に大きなランドセル。ランドセルを背負って学校に行くこの日をどんなに待ちわびたことかと想像すると、あたたかい気持ちになります。

 娘の小学校の入学式では(自分の母校でもありますが)校門に校旗と国旗がありましたが、普段から使われる門ではないので、保護者たちにもあまり知られていなく、味気もない寂しいところで写真を撮りました。私の思い出に入学式のイメージがないのはそのためかもしれません。そのかわりといってはなんですが、娘の小学校の卒業式では満開の桜の下、やはり校門で写真を撮りました(仕事の都合で引っ越しをしたため、学校が変わっています)。「綺麗」の一言で終えてしまうのはもったいないのですが、桜の咲く頃のイベントはしっかり思い出に残るものなのだなと感じています。

 日本人にとって、桜の花というのは特別なものなのかもしれませんが、私にとっても桜の花は特別なものになりました。

 母が病気で入院していた頃のことです。娘を連れて母の見舞いに行きました。その病院の近くの小学校や川沿いの道には、川面まで枝を伸ばした桜並木の、見事な桜が咲き乱れていました。桜花乱舞というのはこのことかと、写真を撮りました。母は今年の桜はどうだろうね、見てみたいねと気にしていましたから。だからといって流石に枝を一本折るわけにはいかなかったので、写真で勘弁してくれという気持ちでした。母はまだこの時期は意識もしっかりしていて、記憶障害が進んでいながらも草花が好きだったので、桜の花の写真を見てとても喜んでくれました。「綺麗だね、綺麗だね…」と。来年は外で見られるといいねと話していました。しかし、翌年の春になる前には転院をして、すでに私が誰なのかもわからない病状でしたので、話をすることさえできませんでした。当然、桜を見ることはできませんでした。もう一度桜を見せてあげたかったという思いは叶えられず、桜の咲く春に母は眠るように亡くなりました。

 毎年桜のつぼみを見ると、また春がやってくるのだと思うようになりました。桜の花は何事もなかったように咲くのでしょう。そして、誰に見せるというわけでもない桜の花の写真が携帯の中に毎年たまっていきます。思い出とともに…。

西郡学習道場 田口敬二(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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