「ねー、先生ってさ、なんで先生になったの?」
新年度が始まり、子どもたちとの距離が近づく頃になると、毎年のように聞かれる質問です。「さあ、どうだったかなぁ」本当はちゃんと答えをもっているのですが、はぐらかしてしまいます。気恥しい気持ちが出てしまって、とぼけたセリフが口をついてしまうのです。私が先生になるきっかけ、それは、友人の「教えるの上手だよね」という一言でした。
中学3年生の冬のこと。自分も友人も高校入試に向けて一生懸命勉強しているときでした。休み時間のたびに、授業でわからなかった問題を互いに教え合っていて、たまたま私が友人に数学の問題を説明しているときに言われた一言です。恥ずかしながら、その友人とは高校に入ってから疎遠になってしまい、いまどうしているのかもわかりません。けれども、その一言を言われたときの友人の表情、教室の様子、そして、自分の心の中に嬉しいような、恥ずかしいような、何かあたたかい気持ちが芽生えたことは、いまでもはっきりと思い出すことができます。
あの日の一言が、自分を動かしてくれた。
子どもたちからの質問のたびに思い出します。そして、先生となったいま、私自身が子どもたちにそんな一言をかけることもあるのだと思うようになりました。
西郡学習道場で担当したYくん。花まるにいた頃から見ていたので、中学受験を終えて卒業するまで5年ほど担当していました。勉強が嫌いで嫌いでしょうがなかった彼とは、たくさんの思い出があります。
居残りを避けるために毎度使ってはばれる仮病。かばんから出てきた「なくした」と言い張る課題。「お母さんからかえって来なさいって電話が来ました」というので確認したところ、なんの着信履歴もない携帯…。思い返せば笑い話になるようなものですが、当時の私は毎回熱心に注意をしていました。
そんなYくんが、受験まであと2か月ほどとなったある日、行方不明になりました。6年生を対象に、志望校の過去の入試問題を解く日のことです。いつまでたっても教室に現れないのでご家庭に連絡をしたところ、「先ほど校舎まで送りました」と返事が来ました。教室に来ていないことを伝え、私はすぐに探しに出かけました。
5分としないうちにYくんは見つかりました。駅ビルにある噴水をぼんやりと見ていました。見つけたらどうお説教をしてやろうかといろいろ考えていたのですが、彼の悲しそうな表情のせいでしょうか、怒りの言葉が口をつくことはなく、「逃げないで、いまやれることをやろう」とだけ伝え、手を引いて一緒に教室に戻りました。手を引きながら、勉強を無理にさせることが彼にとっていいことなのか、もっとできることはないのか、そんなことをずっと考えていました。教室に入り、「どうする?」と聞きました。彼自身の意志を尊重したかったからです。どんな答えが来ても受け入れようと思っていました。ところが彼は、「勉強します」と言い、問題に取り組み始めました。不思議なことに道場から逃げたとは思えないような取り組みぶりで、それは入試が終わるまで続きました。
なぜ急に変わったのか。当時の私にはわからなかったのですが、その答えは卒業後に顔を見せに来てくれたYくんが教えてくれました。
駅ビルの噴水で私に見つかったとき、Yくんはひどく怒られることを覚悟していたそうです。ところが、私の口から出てきたのは「逃げないで、いまやれることをやろう」という言葉。そのとき、本当に心配してくれているんだと感じ、ごめんなさいという気持ちと、まじめに頑張ろうという気持ちが自然とわいてきたのだそうです。Yくんにまっすぐそう言われ、面映ゆい気持ちになりました。
いまでもたまに顔を見せに来てくれるYくん。彼にとっては、あの日の言葉が大事な転機になったのだと思います。
仕事柄、言葉を発することが多い私。自分でも気づかぬうちに、だれかの「あの日の一言」を発しているのかもしれません。願わくは、だれかを温かく包み、支えられる一言を伝えられる人でありたいと思います。
西郡学習道場 山本吉也(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。