【タカラモノはここに⑨】『伝えきれないもの』山崎隆 2023年1月

【タカラモノはここに⑨】『伝えきれないもの』山崎隆 2023年1月

 年長のAくんは少しやんちゃな男の子。同じく花まるに通う小学生のお兄ちゃんの作文にもたびたび登場し、その作文によればおうちでもお兄ちゃんを振りまわしているようです。そんなAくんですが、とびきりかわいいことを言うことがあります。
 ある日、「まみむめも」で始まる言葉を書きだしているときのことです。Aくんはまっさきに「まま」と書きました。そして続けてこう言うのです。

「あ、ママ大好きだから『だいすき』って書こう!」

 Aくんは無邪気な笑顔で「まま」の文字の下に同じくらい大きな字で「だいすき」と書いていました。
 ここまで自分の気持ちを素直に表すことができるのも、この年代ならではのことだな、と思いました。比喩も助詞すらもない「ままだいすき」という言葉。シンプルに力強く、そして書かれている以上の思いを込めて、全身で発せられた言葉がまっすぐ胸に響きます。恥じらいも何もなくお母さんに甘えられる時期だからこそ許されることかもしれません。小さい子にとっては、本当にお母さんが世界の中心なのでしょう。

 私にもそんな思い出があります。幼い日を思うとき、記憶は断片的になり、前後関係もあやふやなことが多いですが、その日のことははっきりと覚えています。その日、私はいつもと違う公園で遊んでいました。当時、一年生で「そこにたまたまいた」という理由だけで面識のない年上のお兄さんと二人きりで遊んでいました。一、二歳ちがうだけでしたが、子どもの一、二歳は大人の五歳くらい上に思えるものです。
 その子はいろいろなことを知っているように思えました。いまでも覚えているのですが、その日、遠くで煙が上がっていました。その頃はまだ焚き火も珍しくなく、畑などで雑草を燃やすことのある地域だったので、それが火事かどうかはわかりませんでした。しかしその子は言いました。
「あれは火事だよ。煙が黒いから」
 これは翌日知ったことですが、確かに火事だったのです。このように自分の知らないことをたくさん知っているお兄さんと遊ぶのは、少し緊張もありましたが、楽しいものでした。
 しかし私はだんだん不安になってきました。空が赤く染まって、あたりが暗くなり始めたのです。「帰ろう」と言っても「まだ大丈夫だよ」と言ってなかなか帰してくれません。そうこうしているうちにどんどん暗くなり、子どもだけで遊んだことのない暗さにまでなってしまいました。
 私は泣きました。その子も乱暴だったわけではありません。ただ、自分としては帰りたいのに、その子の気持ちを裏切るようなことを強く言うこともできず、どうしていいのかわからなくなってしまったのです。理由も言えずわんわん泣く私に、その子も困っている様子で立ち尽くしていました。
  そのとき「たかしー!ごはんの時間よー!」と声がしました。見上げると公園へ続く階段の上に、母の姿があったのです。なかなか帰ってこない私を探しに来てくれたのでしょう。いつもの公園にいなかったので、心当たりを探しまわってくれたに違いありません。その姿を見た瞬間に、すべての問題が解決したような気持ちになりました。私は「お母さんが助けに来てくれた!」と思い、母に駆け寄りました。どこにいても見つけてくれる母の存在を当たり前に信じていました。その日の母は本当に太陽のように輝いて見えました。

  世界中が雨の日も 
  君の笑顔が僕の太陽だったよ

 宇多田ヒカルさんは亡き母に捧げた『花束を君に』のなかで歌います。

  どんな言葉並べても 
  真実にはならないから

 大人になり、言葉を知れば知るほど、親の愛の深さを知れば知るほど、伝えきれないものがあふれてしまいます。「ままだいすき」と飾りのない言葉と同じだけの質量を持った言葉を、大人になった私にはなかなか見つけることができません。無邪気にお母さんに甘えている子どもたちを見ていると、気持ちを素直に伝えられることが少し羨ましくも思えてきます。

花まる学習会 山崎隆


🌸著者|山崎隆

東京東ブロック教室長。千葉県の内陸部出身。2歳上の姉と3歳下の弟と、だだっぴろい関東平野の片隅で育つ。小さい頃、外遊びはもちろんだが室内で遊ぶのも好きで、図鑑を開いては恐竜のいる世界を想像していた。高学年の頃より伝記を通して歴史に親しむ。休みの日には、青春18きっぷで目的もなく出かけることを楽しみにしている。

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