【花まるコラム】『「ことば」の大切さ』村田実乃里

【花まるコラム】『「ことば」の大切さ』村田実乃里

 先日、実家に住む母から「家族が増えたよ」という文面とともに1枚の写真が送られてきました。何事かと一瞬狼狽えましたが、写真を見て思わず頬が緩みました。
 つぶらな瞳。濡れた鼻。フワフワの毛。柴犬の「マメ」です。

 マメは既に10歳。人間でいうと50~60歳くらいだそうです。生まれてすぐに父の友人宅へやってきた彼女は、本当ならその家で生涯を全うするはずでしたが、已むに已まれぬ事情により私の実家へやってきたとのこと。
 犬は人の言葉を話せないので、彼女が10年来の環境と離れて暮らすことに対して何を思うのかは、わかりません。いまのところマメは新たな生活を楽しんでいるようなのですが、それは私たち人間の観察眼がお粗末なだけで、本当はずっと悲しい気持ちを抱えたままかもしれません。あるいは、実家で過ごすのはほんのわずかな期間で、すぐに元居た家へ帰れるだろうと信じて、ひとまずのんびり暮らしているだけなのかもしれません。
 言葉を介したコミュニケーションが難しい人間と柴犬マメですから、マメの寿命を考慮すると、恐らくお互いのすべてを知り尽くすことは難しいだろうと思います。仕草、表情からこそ読み取れるものもありますが、やはり言葉はありがたい道具だと痛感しています。

 私は教室の子どもたちとも、できるだけ気持ちを言葉にして伝え合いたいと思っています。特に新学期など、新しい環境に身を投じることで生じるモヤモヤとした気持ちは、言葉にすることで解決が早まるように思うのです。
  置かれている状態を言語化することで冷静になることができ、解決策は導き出しやすくなります。何がわからないのかもわからない視界不良ゆえの不安感は、気持ちを言葉にすることで解消することができます。 また、周りもその困りごとを解決するために働きかけやすくなることでしょう。

 この4月から教室へやって来たある女の子は、未知なる環境に身を置く不安でいっぱいのまま初回授業を終えました。2回目の授業でも頬に涙の筋をたくさん作りましたが、前回とは違い、涙の訳を言葉にできるようになりました。曰く、「わからないもん」とのこと。もっと詳しく聞いてみると、問題がわからないのではなく、テキストの名前や授業の流れが「わからない」という意味でした。それは授業に慣れるまで当然のことで、要所ごとに指示もあるため心配しなくても大丈夫なのですが、やはり周囲に置いていかれてしまうという焦りがあったのでしょう。そのことを私に話し終えると、以降その女の子は「このテキストで合っている?」と自ら確認するようになりました。自分の状態を言語化したことで、その状態を解決するために動き出せるようになったのです。

 言葉をもつ人間同士。どんな思いでもいいです。言葉にして、思い切りぶつかってきてほしいと思います。

花まる学習会 村田実乃里(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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