【花まるコラム】『折って、きりひらく』坂田翔

【花まるコラム】『折って、きりひらく』坂田翔

 年中・年長クラスでは、折り紙を使った思考実験がしばしばあります。なかでも子どもたちが大好きなのは「折って切って開く」というもの。その名の通り、紙を折り、切り取り、開いたときの形や模様を楽しむ遊びです。図形の対称性に触れるのはもちろん、開く前に“予想する”ということも楽しみます。予想が当たればもちろん嬉しいのですが、イメージとは異なる形が現れたときにも、その新たな発見と出合いに大切な学びが詰まっています。
 研究のため、私も家で折り紙を使って遊んでみるのですが、そのときふと、端と端を綺麗に合わせるのに集中することが多いなあと思いました。鋭く尖った角の美しさに達成感を覚える一方で、「いま自分がやっているのは、“折り紙”ではなく“合わせ紙”なのではないか」と疑問が生じたのです。
 一度、端を揃えることを一切気にしないで折ってみよう。そうやって振り切ると、なんとも自由な気持ちで折り紙に向き合うことができました。さらに、机に置かず手に持ったまま、心のままに折ってみると、いままで作ったことのない形が次々とできあがるのも発見でした。「ぴったり合わせなくてもよい」と決め、「折る」ということに意識を集中するだけで、こんなにも結果が変わるものかと驚きました。「合わせなければ」という無意識の観念が、自由な発想を妨げていたのです。

 辞書をひくと、「折り」ということばの意味として、「過ぎゆく時の中の、区切られたある時点。機会。」という表記がありました。「折りをみて」の使い方です。馴染みのある用法ではありますが、「ああ、折るということは、連続した世界に自分で節目をつくることなのだなあ」と感じました。まっさらな紙に、自分だけの折り目を作っていく。その折り目によってできあがる形はさまざまです。
 そしてその折り目が完全に消えることはありません。それでも、後戻りができないと恐れる必要はありません。一度作った形を解いて、開いてみます。そこについた折り目を活用して、さっきとは違う順番で折ってみると、予想もしなかった形を生み出すことがあります。戻るからこそのおもしろさが、そこにあります。

 実際に教室で「折って切って開く」に取り組んでいるとき、ある年長の男の子が「先生!見て、クジラだ!!」と出来上がった形を見せてくれました。大胆に切り取った部分が、口を大きく開けたクジラの姿に見えたようです。開いたその紙をまじまじと見つめ、「これはお魚を食べているんだよ!」と閃いた彼は、その紙を再び折り、小さな魚に見立てた模様がクジラの口の先に来るように試行錯誤し始めました。何度も折ってくしゃくしゃになったその紙には、彼が生み出した壮大な海のストーリーが刻まれていきました。

 紙を折れば折るほど、その線は複雑になっていきます。そして線がたくさんつくほど、紙は柔らかくなります。経験総量の多さが、その人の思考を柔軟に、多様にするのと似ています。
 折り目をつけるというのは、可能性を広げることではないでしょうか。「この形を作るために、こう折る」だけでない自由な世界は、現実にも広がっているはずです。折り目正しい立ち振舞いができることは人として大切な素養ではありますが、それだけでは生きていけないことも多くあります。正しさの末に、角が立つことだってあるでしょう。折り目だけを気にするのでなく、折ること自体を楽しむ。世界を楽しむコツが、そこにあるように思います。
 まずは、自由に折ってみる。折って、きりひらく。勇気をもって折ってみた人だけに、開く楽しみが待っています。

花まる学習会 坂田翔(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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